鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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。3)Raymond COX, L'Art de decorer les tissus, d'apres les collections du musee histori-つ。cago, The Art Institute of Chicago, 1995, pp.326-327)。伯爵が1908年に再度減訟を注文したのは,ゴブラン織りの仕事をしたことを知ったからであろう。「ルドン展」カタログ(山梨県立美術館,1980年)に収用されたルドンからケスレールへの手紙(1904年11月25日付)にも械訟の下絵への関心が表れている。(1カRoselineBACOU, "La decoration d'Odilon Redon pour le chateau de Domecy (1900-1901)", Revue du Lρuvre, v.42, no. 2, 1992, pp.42-52. 悼)Ibid. 同シニヤツクは小型絵画もオリエント械訟やタピスリーと同じ装飾的役割を果たすと述べ,装飾芸術とそれ以外の芸術という区別がないことを主張した。PaulSIG-NAC, D'Eugene au neo-impressionisme, Paris, Hermann, 1978, p.126. 側油彩を使った場合もテンペラやパステルと混ぜて使用しており,油彩だけを単独で用いた大型作品はおそらくシストリア皇女のためのパネルだけである。Redon. Prince of dreams 1840 -1916, The Art Institute of Chicago, pp. 354-377とくにpp.376-377.ストラティスは,1900年以降ルドンがパステルからその特性に似た効果をもっテンペラ,色コンテや赤チョーク,油彩,油彩と混ぜたテンペラという4種へと素材の幅を広げたこと,また土台となる紙やカンヴァスにどういった処理を施すかが極めて重要な問題だったことを指摘する。たとえば1906年以降の静物画は布の織り目をそのまま生かした地の上に複数の素材と混ぜた油彩で描かれたことや,個人蒐集家の室内に設置された大型扉風やパネルは下塗りのない麻布のカンヴァスに描かれたことにより,パステルに特有のマットな仕上がりと繊細さとともに耐久性を得ることができたと述べる。この指摘に見るとおり,ルドンが惨を塗っただけで麻布に下塗りをせず,完成品にワニスで上塗りもしなかったのは,苦労して得たマットな質感をだめにしてしまうと考えたからであろ開1910年4月12日付ルドンからシャルル・ワルトレー宛の手紙。LF,p.91. que de la chambre de commerce de Lyon, P紅is,P. Mouillet ; Lyon, A. Rey et Cie, 1900; Id. ,Le musee historique des Tissus de la Chambre de Commerce de Lyon. Precis historique de l'art de decorer les etゆset catalogue sommaire, Lyon, Rey, 位。HarrietK. STRA TIS,“Beneath the surface. Redon's methods and materials", Odilon 154

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