鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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白。MaximilienGAUTHIER,“L'Etat actuel de la Manufacture d巴sGobelins", L'Art et les 1902. 仰)先駆けて織物への高い関心を示していたゴーギヤンも,オリエントの敷物から多くを学ばねばならないと述べている(MerciMonsieur Gauguin, reunis par Claude THIEBAULT, Paris, La Bibliothとqueartistique, 1987, p.27)。同ポール・ランソンが描いた織物下絵のいくつかもカンヴァス上にテンペラで描かれている。そもそもゴブラン織り文様は粗い織り地の布目に隙間無く交わされた縦糸と横糸で得られる(r原色染色大辞典1淡交杜,1977年,420頁,1ゴプラン・ステッチjの項を参照)。αrtistes, no.40, octobre 1923, p.30. 間当時のタピスリーに関しては次の文献が詳しい。PierreV AISSE,‘La Querelle de la tapisserie au debut de la IIIe Republique', Revue de l'art, no.22, 1973, pp.66-86. 凶「陽気で装飾的なシェレのパネルと魅力的なルドンの衝立に感心されるでしょうが,この良き選択に政務次官は何の関わりもありません(LouisVAUXCELLES, “‘L'Etat, c'est moi. " dit DujardirトBeaumetz,donc l'Etat a mauvais gout", Le Gil Blas, 29 novembre 1909) oJ Iあなたの肘掛け椅子の下絵は魅力的です。こう,思ったのは私だけでなく政務次官でもあるのです(ギュスターヴ・ジェフロワからルドンへの手紙,日付不明の火曜日付,LG, p. 304) oJ 同「テイエボー・シッソン氏は作品を魅力的と捉えられ,この作品を注文した行政を賞賛しようと提案した。マーニュ氏はこの作品の色彩が不快であると異議を申し立てたが,評決にかけられたティエボー・シッソン氏の提案は承認された(1909年3月2日のゴブラン審議委員会議事録,Mobilier National蔵)oJ 側1911年9月16日付ルドンからアンドレ・ボンゲルへの手紙。LI,p.212. 伺)1908年4月11日,LF, p.82. 倒1908年4月11日付シャルル・ワルトレーへの手紙(LF,p.82)。倒ゴプラン製作所の展示会を見た後1874年9月14日に書かれた。Edmondet Jules de GONCOURT, Journal, 1871-1875, tome X, Les Editions de l'Imprimerie Nation-ale de Monaco, 1891, p.190. 凶絵画の模倣を行ったほか,製作所は原画の大半をタピスリーの下絵を専門とする-155-

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