phu ⑭ 江戸時代火事絵巻研究研究者:柳川藩主立花家資料室学芸員植野かおり1.はじめに天地27.5cm長さ約16mのひと続きの画面に江戸の大火を途切れなく展開させた絵巻が,国立国会図書館に伝わっている。「明和九年目黒行人坂火事絵J(以降,I国会図書館本jと記す)と題するこの絵巻の作者,制作時期,伝来の経緯は不明であるが,決して俗に行き過ぎることのない,暖かでのびやかな画風と描かれた風俗から18世紀後半の作と推測される〔図1~ 3 J。江戸時代,火事に限らず実際に起きた災害をそれと分かるように詳しく描いたものを出版することは幕府による取り締まりの対象となっていたが,その出版統制も大名家における絵画制作にまで及ぶものではなく,諸藩に残された火事絵の作例は今日少なからず見ることができる。その中でも国会図書館本と図様やモチーフに近似性のある火事の絵巻(以降,火事絵巻と記す)は全国(一部国外)に散見され,狩野派の系譜に連なる絵師たちによって繰り返し模本が作成されていることを確認した(表1)。しかしながら,これらの火事絵巻作品は,多くの場合風俗史や消防史の資料として取り上げられるのみで絵画史研究の対象としては看過されてきたと言わざるをえない(注1)。本研究では,諸本の画面分析を通してそれらを比較検討し,火事絵巻の特質,そして原本の成立と伝播の様相に迫る。さらに火事絵巻制作の意図と,その手段を検証することは,江戸時代末期にあって絵巻物という表現形式がいかなる意味をもっていたかを明らかにするため,少なからぬ意義をもつものと思われる。火事絵巻に特徴的なことは,詞書をもたず,1巻12m~16mを貫く途切れのないひと続きの長大な画面で構成されていることである。しかも,空間の移動に伴って時聞が自然に経過してゆき,火事の物語を絵画化している。途切れなく続く場面を目で追うことによってのみ起承転結のストーリーを伝えるという表現形式は,中世以降次第にみられなくなってしまった「伴大納言絵巻jや「信貴山縁起jなどの時空間表現にルーツを持つものである。この表現形式は,巻子を繰り広げるという鑑賞方法において最大限に効果を発揮する。広げた時に十数メートル2.火事絵巻の特質
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