nhu 注6.結論ためには主人公を具体的に描き出す必要があったのであろう。三井文庫本に書き込まれた戯文に次のような一説がある。『鳥か日扱~けふの火事は/おもしろかった月夜に出た/気とりて風かみに廻ってみて/居るとけしからすおもしろい…以下略』。喜三二は,身近な火事の顛末に思いをはせながら,絵を見て感じるままに戯文を書き連ねているのだが,火事絵巻の鑑賞態度が一面白がるーものであったことをうかがわせる資料といえよう。絵師が,火事江戸の花を描くにあたり選択した方法は,1伴大納言絵巻jに代表される古典説話絵巻に息づいていた物語展開の手法を,江戸風俗の中に再び展開することであった。それは,同時代の火事や風俗のルポルタージュを大きく反映させつつも,単なる情報伝達にとどまらない娯楽性を併せ持った作品として,狩野派の系譜に属する絵師の手により再生され続けた。物語の語り手としての絵巻物の輝きは江戸時代になってごく小さなものになってしまったことは否めない。そういった時代にあって,火事絵巻は巻子装という表現形式の特質への理解と可能性への試みの上に再構成され,再び鑑賞者に強く語りかけるものとなった。(1) 火事絵巻が紹介された文献小指英一「明和九年目黒行人坂火事給〔解説JJr炎と纏.1(誠文社,1976)所収諏訪春雄「目黒行人坂火事絵巻Jr近世風俗図巻第三巻芸能・諸職.1(毎日新聞社,1974)所収田沢裕賀「火消絵巻解説Jr秘蔵日本美術大観八巻ケルン東洋美術館.1(講談社,1992)所収影山純夫「松代藩絵師三村晴山Jr山口大学教育学部研究論叢第44巻第1部』(2)気象庁潮汐担当者のご教示によれば,明和9年2月29日頃目黒方面での干潮は致する。(3) r秘蔵日本美術大観八巻ケルン東洋美術館.1248頁の作品解説において,田沢氏(1994) 10: 00と22: 00~23 : 00満潮は5: 00と16:00であり,画中の川の様子とほぼ一
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