(2) 着色法2.ゴヤのタピスリーカルトンにおける遠近表現の展開いた時期は,ファン・デ・ラ・クルスの版画集『衣装コレクション』の発刊時期と重なる(注9)。また慣例の画題である「物乞い」ゃ「ピクニックJ(狩猟の休息場面から発展)は度々タピスリーに登場し,ゴヤも他のカルトン画家達も描いている。カルトンはタピスリーに織られることを前提として描かれたゆえに鑑賞画ではない。キャンヴァスに油彩で描かれたカルトンとタピスリーには根本的にテクスチャーの相違がある。タピスリーは油彩画のような光沢を持たない羊毛で織られ,色の違う面と面は断続の継ぎ接ぎであり,縦糸に対して水平に横糸を通すため油彩画では滑らかな弧や斜面は階段状に表現される。そのためカルトンはタピスリーに適した画面構成,色面(輪郭線を取るのに向く色づけや光沢の表現)で制作されなければならなかった。初期のゴヤのカルトンが「もっとタピスリーに織り易いようにカルトンを完成させること」と指摘され返却された例がある(注10)0 I織り易いように」とは色を面で配置し,光沢を同色の濃淡で表現することを意味した。18世紀後半に飛躍的に進歩したタピスリーの染色技術において,職人が最も情熱を傾けたことは,7色の基本色(黄・カーマイン・影色・黒・青・パラ色・緑)の明度の段階を増やすことであり,ゴヤの時代には5段階のトーンを自由自在に用い配置することができた。段階の違う色糸と色糸を表からわからないように裏で経い合わせる技術(リレー)に加え,縫わずに2色が離れないように織り込む技術(エンラサード),明暗を表現する際に段階の違う2色の面の接する部分に2色を縫った横糸を挟ませることで視覚的に重なり合うような濃淡を作る技術(トラピエレス)が考案され,更に顔や服の細かな描写に絹糸を混ぜる技術が向上した。従って当時カルトンの図案に求められたタピスリー技術の見せ場は,衣服の濃淡,繊細な小物や人物の表現にあったのだ。タピスリー職人には,アルト・リソ(竪機)の導入以来,素描を学ぶ義務があったが,カルトン画家にもタピスリーの織りの知識が要求された。初期のゴヤのカルトンの着色法は,色の違うハイライトを用いて明暗を際立たせたやり方であったが,次第にパステル調の淡い色面を濃淡の段階をつけて配置するやり方へと変化していく。パステル調の色面を濃淡で配置するやり方はタピスリーカルトンの特徴であり,ゴヤのカルトンがゴヤの絵画よりも他のカルトン画家の作品に近いのはこのためである。タピスリーにおけるヒエラルキーを考慮し,ゴヤが描いた六つの連作から「パーニ178
元のページ ../index.html#188