。。(1) 従来のタピスリーの遠近表現(2) タピスリーにおける透視図法の採用(3) 眺望画としての〈サン・イシドロの牧場〉3.ゴヤのタピスリーカルトンにおける遠近表現に関する考察面に対して水平であるため,<ベロータ競技〉で試みた左から右への奥行き表現は追求されていないが,ゴヤは〈夏〉で試みたX字の構図を手前の地面の盛り上がりに応用した。すり鉢状の左右の地面の盛り上がりを近景の群像が縁取り,中景が欠落し,次の段階では人々は遠景の描写として非常に小さく描写される。ゴヤは中景の欠落で,観者の視点が風景にそのまま注がれるように描いたのだ。ゴヤの〈サン・イシドロの牧場〉での試みは,タピスリーの織りの技術の限界に触れ,この作品をもってゴヤのタピスリーにおける遠近感の追求,即ちタピスリーカルトンを可能な限り油彩鑑賞画に近づける試みは終わった。タピスリーの大画面作品には,近景・中景・遠景の塊が明確に分けられ,物体の寸法の大小,色彩の濃淡で(遠景に向かうほど淡い色調で)距離感を表現する方法が用いられた。また挿入される建物の張り出しの角度で奥行きを表現する方法が多用され,中心群像,建物,建物の横に描かれた遠景の人物だけで表現される場合もある。ゴヤが初期に用いた楕円形或いはピラミッド型の群像が小高いEに乗り,遠景の人物や自然物が中心群像より低い位置に居るかのように描かれ淡い色調で表現される方法は,大画面作品よりもむしろ扉上部作品に用いられる場合が多い。大画面作品における透視図法の採用の好例は,1785年にフランシスコ・パイェウが描いた〈デリシアス通り}(図6Jである(注16)01767年から工場の絵画監督職にあったフランシスコ・パイェウは「タピスリーカルトンはタピスリーよりも芸術性の高いものであるべき」と意見書を提出しており(注17),カルトンに油彩鑑賞画におけるような表現性を要求したのは査定官側であったことが解っている。この宮廷画家が工場の絵画監督職を兼ねるようになった1770年頃を境に,タピスリーカルトンは,画題,描かれ方ともに変化した。ゴヤの〈ペロータ競技〉における斜めの構図は〈デリシアス通り〉にも適用されている。ゴヤが〈サン・イシドロの牧場〉に用いた風景描写の方法の源泉として,トムリンソンはヴェルネの〈アッカヴィヴァ枢機卿とカポロラの別荘〉を挙げているが(注18),むしろ直接的な発想源は王宮コレクションに所蔵されるファン・パウティスタ・マル
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