鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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(4) 室内装飾の傾向における〈サン・イシドロの牧場〉テイネス・デル・マソが1647年に描いた〈サラゴサの眺望}(図7](注19)と思われる。〈サラゴサの眺望〉のエブロ河で画面を二分に切り,近景に細々と群像を描写し,遠景に風景を描く方法が,ゴヤの〈サン・イシドロの牧場〉と似通っている。タピスリーカルトンにカルロス三世の近代都市化事業の記念物を描く方針はメングスにより提唱された。従って,ゴヤの〈サン・イシドロの牧場〉はメングスの意向を汲んで近代都市マドリードの記念碑として描かれたと考えられるが,風俗的主題と決定されたタピスリー連作にむしろ風景画と称すべき構図を取り入れたゴヤのこの作品の扱いは,タピスリーの注文主であるカルロス三世の地形学的風景画の晴好に一致した選択であり,タピスリーカルトンにおいては新しい試みといえる。ゴヤは四季を主題とした第四の連作以降のボセトをガピネット用の小作品としてオスーナ公爵家に売却した。1750年代以降のマドリードの上流階級の邸宅におけるガピネット装飾の流行について,当時の新聞Diariocurioso, erudito y comercial (後のDiario de Madrid)に掲載された古美術商の競売広告がその様子を知らせる(注20)。その分析の結果,輸入品の風景画・風俗画の人気は高く,1ガピネットの装飾として相応しい」と広告される。広告にはガピネット装飾用の帯状の壁紙やガダメシ(革製壁紙), 終いには白紙の壁紙に風景や植物を描く絵師まで登場し,当時のガピネット装飾熱が高まっていく様を年代を追って読みとることができる。ガピネット用の壁掛け額絵の風景画は次第に壁そのものにパノラマを描く趣味へと発展し,住人の意識は総合的な装飾空間を目指す方向へと変化する。興業としてのパノラマ装置は1789年にイギリスで誕生し(注21),壁面を連続した風景で埋める室内装飾の趣味は19世紀初頭の一つの典型となる(注22)。ゴヤは室内装飾に対する人々の視覚的欲求の動向を敏感に察し,流行を先取ってタピスリーにパノラマを採用したのだ。結び「創意による」とは,カルトン職人ではなく画家であるという意志表示である。ゴヤは,タピスリーの技術や制作工程上の制約の中で,画家の立場から造形面・内容面の試みを行い,カルトンを「タピスリーよりも芸術性の高い」作品に変えた。ゴヤのタピスリーカルトンは,アカデミーの画家としての博識のみならず,画家の室内装飾に対する先見的な意識をもって制作されたと考えられる。182

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