おうじゅいじしよきこねそこうねぶちょうねこうちゅうねしんけによしよきこねによけじけんせつそうねいかなる衣を用いて糞掃衣を作るべきであるかを示したのがこの十種衣であるが,これは,人が嫌悪する裂,世俗的な浄性から逆転している裂で糞掃衣を作るのだということを極めて具体的に表している記述であるといえる。『四分律J巻第六十にも「十種糞掃」が挙げられており,五の「産婦衣Jが「初産衣」に,六の「神廟中衣」が「神廟衣J,八の「求願衣jが「願衣J,九の「受王職衣」が「立王衣」と記述される以外は,巻第三十九と同様である。『五分律』巻二十ーにも「王受位時所棄故衣J,I覆塚衣J,I巷中衣J,I新嫁女所棄故衣J,I女嫁時顕節操衣J,「鼠佼衣」等の「十種糞掃jが挙げられる。『十諦律J巻第二十七には四種,r有部毘奈耳目第十七,及び『根本薩婆多部毘律揖』第五に五種が挙げられている。これらの糞掃衣の裂の種類は,各部派によって定められる裂に多少の違いがある。しかし大半は類似した裂が挙げられ,また,いづれの裂も身につけるのがはばかられるような素材が挙げられていることは確かで、ある。このようにインドでの糞掃衣は,衣服に対して貧りの心をおこさないため,むしろ世間的に不浄な裂をその衣材として定めているのである。しかし,実際にこのような裂を集めるということは大変困難で、あったようで,r四分律』巻第三十九などに糞掃衣の衣材を得るために比丘が他の比丘の置いていた衣を「糞掃衣だ」と取り去って問題になったり,他の比正と糞掃衣を取りにいって争いがおこったなどの話が見られることからも,十種糞掃衣として定められるような衣材が実際には手に入りにくい衣材であり,わざわざ制定した衣材であるといえる。2 中国での糞掃衣中国での糞掃衣は,インドの経典において説かれていた糞掃衣の考え方を一応踏襲している。中国で著された『大乗義章』を初めとした多くの論典からも,糞掃衣はあくまでも不浄な裂,不浄な場所から拾った裂でなければ糞掃衣ではないという主張が読みとれる。しかし,実際のところは,糞掃衣は大きく変化した。『大乗義章』等,中国で書かれた文献上によく見られるのは,糞掃衣について「印度ではこうした袈裟を身につける」という言われ方が多くなされているという点である。これは通常の袈裟に関しての記述ではみられない言い方であり,糞掃衣という袈裟は中国では非常に現実離れしているものという認識がされていたことを物語っている。また,糞掃衣を身につけていた-190-
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