僧侶のことを,r法華経惇記.1r釈門自鏡録J等でわざわざ書き記しているという点を考えても,糞掃衣は中国では身につけることが特殊なことであったと考えられる。さらにインドと異なる点は,かなり「袈裟の素材Jに対する考え方にこだわりが見られるという点である。インドにおける袈裟の規定においては,自然環境的理由と思想的理由から,絹という素材を禁止していないのであるが,南山律宗の南山道宣は,「絹というものは,繭からつくるのであり,作る際に蚕を煮て殺している。よって,絹は,殺生の衣材であって,仏教徒が身につけるのにふさわしくないJとする。この考え方は,道宣独自のものであったが,この「殺生の衣材」というのが「仏教徒は殺生をしてはならないjという教えと相侯って,かなり受け入れられることとなった。しかし,インドで絹というのは,経典上においても素材のひとつで挙げられており,禁止されてはいないため,この絹衣禁止説は,かなりの論争となって後に議論がわきおこることとなった。インドにおいて素材の不浄というのは,あくまでも欲を持たせる素材が不浄なのであって,素材そのものが殺生してできたから不浄で、あるとか,そういった考え方ではない。ところが,中国における袈裟の考え方というものは,素材そのものに浄,不浄を考えており,そこにかなり重きを置いているのである。つまり,動機を重視するインドから,素材や形式を重視する中国への展開といえる。また,インドでの出家沙門型の宗教形態と異なり,僧侶が自立して生活する中国では,糞掃衣は現実的に自分で入手することが難しい衣であるため,そうした意匠を表した現存遺品や彫刻,絵画表現なとマで、糞掃衣の表現を行っている。中国から将来して日本へ持ち込まれた糞掃衣の遺品などから糞掃衣自体の意匠化ということもうかがえる。さらに中国で,I山水柄jという名称の糞掃衣の意匠ができた。これは糞掃衣の裂の重なりを山の連なりのように意匠化したものである。敦』崖莫高窟や安西橋林窟の壁画や彫刻の表現にもそのような意匠が見られる。こうした糞掃衣の山水禍の意匠は,絵画などに山水禍が多くみられることからも,かなり定着した意匠となっていたのであろうと思われる。中国での糞掃衣は,素材そのものにこだわりを持つ反面,糞掃衣そのものは現実的には身につけるのが難しいと考え,山水柄など糞掃衣を意匠化するなどし,インドでの糞掃衣の姿からはかなり変化した。
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