一三重和尚大師…紫黄の貼廟の福田袈裟,長袖の編杉,紫の裳を着ける。いる可能性はある。また,韓国で成哲(1912~1993)という非常に有名な僧侶がいた3 朝鮮半島での糞掃衣朝鮮半島は,中国の形式とほぼ同様の袈裟が用いられていた。インドの経典において説かれていた糞掃衣の考え方を一応踏襲していることも中国同様である。しかし,その扱い方には朝鮮半島独自の変化がみられる。『高麗図経』巻十八(注7)に,僧侶の階級に応じて以下のように身につけるものが定められている。国師…...・H・..…出水柄袈裟,長袖欄杉,金政,紫裳,烏革帯を着け,黒草の鈴の三,阿闇禁大徳……短袖の欄杉,壊色の桂衣,五条袈裟の下に黄裳を着ける。四,沙弥比正...・H・..貼廟がない壊色の布衣。五,在家和尚...・H・..袈裟を着けない。白い麻の窄衣,黒い吊を着ける。裸足か草履。ここで注目すべきなのは,最上の位である国師に,I出水柄袈裟jを着けることが定められていることである。この「出水禍袈裟jは,おそらく,中国で「山水禍」といわれた糞掃衣に相当するものであろうと思われる。このような,糞掃衣に相当する袈裟が,高位の僧侶が身につけるものとなっていくという,新たな価値観が生まれたことは朝鮮半島から見られる現象である。朝鮮半島での糞掃衣は,現段階までに現存遺品を発見していないが,中国同様,絵画などには糞掃衣の意匠の袈裟が描かれているのを見ることができるので,存在してが,彼は,糞掃衣の思想、に基づくようなボロのつぎはぎの衣を着ていた。成哲は,質素な生活を生涯おくった僧侶であり,韓国では非常に尊敬される高僧である。朝鮮半島での糞掃衣は,最上の位の僧侶に「出水柄袈裟jを着けることを定めるなど,糞掃衣が高位の僧侶,つまり高い価値のものと結びつくという新たな現象がおこった。4 日本での糞掃衣日本には糞掃衣の遺品が数点みられるが,奈良時代の現存遺品からすでに意匠化されていることがうかがえる。日本の現存遺品の意匠は,I樹度JI雲JI山」の三種類に分類できるが,樹皮の意匠は,日本に現存する糞掃衣の中で最も早い時代である奈良時代に集中し,後に雲の意匠,そして鎌倉時代以降から山の意匠へと移行している。履をはく。192
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