鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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環境が異なる日本において,r四分律』巻第三十九に説かれる十種糞掃のような衣財が落ちているということはあり得ないとして,在家との接触,布施的援助が必要不可欠である日本での環境に応じた糞掃衣を考え,経律論の十種糞掃に加える形での幅の広い衣財の求め方を考え,解釈を行ったといえる。「糞掃衣は,十種糞掃のような衣財だけではなく,布施されたものをはじめ,浄命より得たところのものであれば,それはすべて糞掃衣となる」という考え方である。浄命とは,清浄な生活や清浄な心をさす(注8)が,そうした檀那からの布施も含めた「浄命なるところから得たものはすべて糞掃衣となる」という解釈は,大乗仏教,特にその突出形ともいうべき禅に顕著な動機主義で,形態主義の律の弱点をつく意味で非常に重要であり,この考え方が現代までに至る日本での糞掃衣において,根本的な位置を占めている。その後,江戸時代に書かれた袈裟研究書にその道元の糞掃衣の解釈は多く引用され,受け継がれている。養存が元禄16年(1703)に著した『悌祖袈裟考』と,明和5年(1768)に面山が講述し,それを弟子の慈方が収録した『釈氏法衣訓1江戸時代末期に黙室が著した『法服格正』などが挙げられる。中でも『法服格正』は,経典はもちろんのこと,それまでに著された数々の袈裟研究書等を含めた研究であり,袈裟研究書としてはかなりの水準に達しており,現代に至るまで,袈裟について考える場合やつくる場合には,よく目を通される袈裟研究書である。それゆえ,その『法服格正』に,道元の解釈が取り入れられていることからも,後の糞掃衣の解釈にもかなり大きく影響を与えていることは疑いない。このように道元の解釈は,袈裟研究書にも引用され,後世,正しい袈裟を追い求める人々がそれを目にすることで,定着していったのである。現代における糞掃衣は,檀家の人々から不要な裂をいただいて糞掃衣に仕立てる,というのが一般的な衣財の求め方となっている。これは先に述べた道元の衣財を「浄命」からも得られるとした思想、が影響している。現在禅宗や真言宗を中心に,袈裟を縫う会があり,それは,福田会という。年二回程度,泊まり込みで坐禅や作務等の修行を行いつつ,正しい袈裟を縫う会である。福田会では,ちょうど作成途中の糞掃衣も見せていただいたが,やはり,檀家の人々から不要になった裂を集めて縫っているということであった。袈裟の全体の形はもともと田の形に由来しており,長方形に裁断した裂をつなぎ合わせて一枚の袈裟をつくる。その一つの長方形の部分を「田相」というが,ここで見せていただいた糞掃衣は,194

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