注(1) 中村元『原始仏教の成立原始仏教2(中村元選集第12巻)j春秋社,昭和44年一人が一枚の田相部分を受け持つという形で,さまざまに裂を重ねた上から丹念に刺し子を施して縫うということであった。そして,それら田相を最終的につなぎ合わせ,一枚の糞掃衣に仕立てるのである。浄なる心によって布施された衣材を用いて,一人一人が心をこめて縫った田相ひとつひとつをつなぎ合わせる。そうした人々の「心jを素材として糞掃衣がつくられているのである。現代の日本における糞掃衣のありかたは,そういった皆の「心」に重点をおき,それをつなぎ合わせるところに尊さを見いだしているように思われる。そういった「心」に重きをおいた糞掃衣の求め方は,道元の考え方に由来するものであり,それは日本における糞掃衣の展開の特徴ともいえるだろう。(2) 阿部慈園「糞掃衣考Jr東方J第l号,1985年166頁(3) 注(2)と同じ(4) 注(2)と同じ(5) I大宝積経」巻第104r大正大蔵経』第11巻646頁c(6) これら十種衣の意味は,水野弥穂子『道元禅師のお袈裟j(柏樹杜,昭和62年)(7) 朴尚得訳『高麗図経』図書刊行会,1995年134~ 137頁(8) r禅学大辞典j(大惰館書庖,昭和53年)587頁では「浄命jを「清浄な生活」とし,川口高風『法服格正の研究j(第一書房,昭和51年)76頁には,1浄命」を「清浄の心を,生命となすことjとしている。参考文献阿部慈園「糞掃衣考Jr東方』第l号,1985年任柴子『韓国宗教服飾■仏教斗道教服飾合中心三豆J亜細亜文化社,1990年余武義『手噌司・屯叫J蔵経閤,1993年朴尚得訳『高麗図経』国書刊行会,1995年中村元『原始仏教の成立原始仏教2(中村元選集第12巻)j春秋社,昭和44年318頁170~171頁を参考にした。-195-
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