鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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⑫ インドネシア・スマ卜ラ島のビダについて研究者:福岡市美術館学芸員はじめにインドネシアはアジア諸国のなかでも,多彩な伝統的染織技術を有することで知られている。なかでもスマトラ島は,インドネシア全土に見られる染織技術がほぼ網羅されているほどに,伝統染織が盛んな島である。スマトラ島の染織としては,北部のパタック人の木綿の経緋(ウロス)や南部のパレンパンの絹の緯緋(リマル)や金糸の緯紋織(ソンケット),南端のランプンの紋織の霊船布(パレパイ,タテイピン,タンパン)などが研究の対象として今までしばしば取り上げられてきた。それらに比べれば,今回取り上げる通常「ビダ(bidak)Jと呼ばれている布に関しては,ほとんど研究の手が及んで、いないといってよく,展覧会でも取り上げられる機会は少ない。筆者は1999年に勤務先である福岡市美術館で「織り・染め・縫いの宇宙インドネシア・スマトラ島の染織エイコ・クスマ・コレクションJ(1999年,福岡市美術館より図録刊)を開催した際に,横縞を主文様とするピダが一見地味で、,プリミティブではあるが非常にさまざまな要素を内包していることに興味を引かれた。また,同時にピダの産地について通説と異なった説があることを知った。それが,従来スマトラ島の南西のパスマ(Pasemah)産(注1)とされていたピダを,スマトラ島南端のランプン(Lampung)の産とする説であり,福岡での展覧会で紹介したが,当時筆者自身は後付け調査ができなかった。そこで,2001年2月19日~3月20日までインドネシアに滞在し,ピダの産地の特定を第一目的として,パスマとランプンにて現地調査を行い,またジャカルタにて文献調査を行った。本報告はその調査に基づくものである。l ピダと呼ばれる布先にピダについては,くわしい研究がなされていないこと,制作地に二説あることを述べた。ここで,現在ピダという名で知られている布について,定義を試みる。インドネシアの染織に関して日本でのパイオニア的存在である吉本忍氏の「インドネシア染織大系J(1977年,紫紅社刊)の中で,吉本氏は絹の「菱繋文緯緋幾何学文浮都築悦子197

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