鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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宙J展図録所載10点のピダの写真を名称は伏せて示し,それを見たことがあるか,そパスマでの調査は2001年2月25日~2月26日にかけて行った。パリサン(Barisan)1 M.サマン(M.Saman)氏(男性)70歳,民謡(グリタンguritan)の歌い手住所:Jl. Kpt. Sanap No. 15, Pagaralam 2 アスニ(H勾aAsni Syroyo)氏(女性)って着用される長方形の布」という記述がある。また,ランプンの織物について,以下のように記述されている。「ランプン地方の絹織物は主に色彩のある縞かダイアモンド型のデザインの織物である。木綿の織物は,一般的に縞かチェックのデザインである。それらは幅60cm,長さ4から5mに織られる。それから,布はふたつの同じ部分に切り離され,ふたつの部分(パネル)は,より広い長方形にするために耳を縫い合わせられる。」「ダイアモンド形Jという記述が,ピダに表わされる緋の菱形文を想起させるなど,これらの特徴は,狭義のピダの特徴にほとんとミぴったり当てはまるといってよい。この文献から,少なくとも,ランプンにピダという名の布があったこと,そして,狭義のピダによく似た特徴を示す布があったことの2点がわかる。では,実際,ピダは,パスマで制作されていたのか,それともランプンでも制作されていたのだろうか。山脈の東側に位置するパスマ高原の中心地パガララム(Pagaralam)は南スマトラ州の西東,ブンクル(Bengkulu)ナト比の州境付近に位置し,巨石文明でも知られた土地である。言語はパスマ語(Basemah)で,スマトラマレ一語の一種である。パスマでは織物の技術はすでに途絶え,布そのものも残っていないというのが,研究者あるいは古美術商たちの共通見解であった。博物館・美術館もないことから,過去について語り得るお年寄りへの聴き取りを試みた。聴き取りの方法は,個別に面接をしてピダという言葉を知っているかどうか,ということと,1織り・染め・縫いの宇の名前は何か,用途は何かと尋ねるものである。聴き取りを行った主な方々は以下の通り:3 パスマでの調査200

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