鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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2157と番号不明分は,福岡展作品番号111の赤地,細かな格子文様のものと,同じ手であった。ただし,番号不明分は両終端が縫いあわされ,筒状になっていた。2251は細長い筒形の経縞の腰布で,女性用とのことであった。110, 111, 117, 118:ピダ・ブチュキル。男性用。ランプンで制作・使用。112-116 :ピダ・ブンクック。女性用。ランプンで制作・使用。3人の職員にピダの意味を聞いてみたが,Iブランケット(毛布)Jという意味だという。実際,ファウジ・ファタハ(Hi.Fauzi Fattah)編「ランプン語(インドネシア語)辞書(kamusBahasa Lamupung) J (1998年,Gunung Pesagi Bandar Lampung刊)にも「ピダ:スリムット(bidak: selimut) Jとなっている。スリムットとは,辞書(谷口五郎編,1995年)には「夜具(毛布,綿毛布など)Jとされている。ピダは,今も,ランプン語として生きて使われている言葉であった。ここで明らかになったことは,ピダという言葉が,ランプンではマルワンシャ氏やJ.E.ヤスパーとマス・ビルンガデイのいうように,大判の布を示す言葉であって,狭義のピダだけを示すものではない,ということである。狭義のピダを示す場合には,ピダ.00というように特定する言葉をつけなければならない。マルワンシャ氏は狭義のピダを「ピダ・ガラ・ナプ(BidakGalah Napuh) J とし(福岡市美術館,1999),ランプンの博物館では,1ピダ・ブチュキルjとしていたが,どちらが正しいのか(あるいはどちらも正しいのか)を調べることはできなかった。おわりに現在までの情報を総合すると,パスマでは,I狭義のピダ」をかつて作ってはいたものの,現在は布自体もなく,技術も途絶えている。また,名称もピダではない。かつて「狭義のピダ」を作っていたというのは,人々の記憶にしか証拠はないが,いままでパスマ産という通説が認められてきたのは,パスマの他の染織とモチーフなどに共通点があるからであり,全く理由のないことではない。ランプンでは,文献やマルワンシャ氏の情報が示すとおり,布の名称、として「ピダjという言葉が使われており,それらは狭義のピダをも含む。また文献からも「狭義のまた,福岡展作品番号(109~118)については,以下のようなコメントを得た。109 :ピダではない。パレンパンで作られて,ランプンで使われた。肩にかけて使う。204-* Iブンクック」は「腰が曲がった」という意味。

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