鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
220/716

ハUつわ】⑮ 江戸時代制作両界憂茶羅図の図像的研究研究者:国際日本文化研究センター研究部教授頼富本宏l.江戸時代の蔓茶羅研究密教量茶羅を美術史の視点から考察すると,最澄・空海などの請来者によって新しい美術作品がわが国に紹介され,その後の密教の盛行にともなって両界・別尊という二種の蔓茶羅が多数制作された平安時代,それら二種の他にも浄土思想と垂迩思想、が蔓茶羅と結合して浄土呈茶羅(主に当麻量茶羅)や垂遮量茶羅などの優品を生み出した鎌倉時代が主たる研究対象となる。しかし,宗教上の必要仏画としての蔓茶羅は,その後も引き続き数多く制作され,密教寺院を中心に人びとの信仰対象となってきた。ただし,密教が天皇・貴族を中心とする支配階層の人びとの人気を集めた古代後期とは異なり,鎌倉時代には禅・法華・専修念仏など新しいタイプの仏教が加わった結果,密教も融合化・庶民化の傾向を強め,蔓茶羅を新写するエネルギーと技術が次第に低下していったことは否めな量茶羅制作の美術表現的技量の長期的低落は,比較的安定した武家政権としてスタートした徳川時代,すなわち江戸時代になっても改善することはなかった。したがって,美術作品としての江戸時代の両界憂茶羅を取り上げる意義は必ずしも多くないが,一方,蔓茶羅を生み出す思想,つまり密教教学と,それを諸尊の可視的な姿・形として表現した図像を研究対象とする図像学研究によると,江戸時代の両界蔓茶羅には,意図と内容の相異するいくつかの展開があり,結果的に数種類の系統の両界憂茶羅図を生み出して行った。本助成研究では,計十数点の両界蔓茶羅図の図像調査を実施したが,現在の段階で判明した江戸時代の両界蔓茶羅図の諸系統の概要を試験的に復元したい。近年,インド,チベット,中固などの諸外国の仏教美術に関する研究が,長忌の進歩をとげ,日本に伝わった各種の尊格や仏教美術の源流にあたるものがインドや中国から数多く発見されている。金剛界・胎蔵界の二種の蔓茶羅も例外ではなく,いずれの蔓茶羅も成立の地インドにおいて複数の系統を持っていたことが明確となった。しミ。2.金剛界・胎蔵界二種蔓茶羅の諸系統

元のページ  ../index.html#220

このブックを見る