鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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注(1) r続真言宗全書』第24続真言宗全書刊行会1986年171頁(2)拙稿「蔓茶羅の美術東寺の憂茶羅を中心として-J r東寺の蔓茶羅図』東寺宝物とも交流があり,密教の復興に果たした役割は大きい。したがって,寿福寺の金剛界八十一尊長茶羅は,江戸前期から中期にかけての密教復興の動向に沿うものといえよう。なお,胎蔵界蔓茶羅も同年の制作であるが,千手観音菩薩と金剛蔵王菩薩の前に供養壇を設けている〔図10J。すでに触れてきたように,兵庫・太山寺本などと同じく金剛界八十一尊是茶羅と一対になる台密に多い形式であり,真源の縁起では,寿福寺本を制作するのに四本の八十一尊長茶羅を参照したと記すことから,東密系の蔓茶羅とはいえ,台密の伝統をも受容していたと考えられる。以上,両界長茶羅の五種の系統を調査した作品を中心に検討したが,伝統と創造(改変と逸脱)という二種のベクトルの相違する表現エネルギーによって江戸時代の両界憂茶羅が制作されたのである。(3) 石田尚豊『両界蔓茶羅の智恵』東京美術1979年166~ 167頁(4)拙稿「元禄本両界蔓茶羅図の系譜」『斎藤昭俊教授古稀記念論文集仏教教育・人間の研究.12000年599~618頁(5)拙稿「金剛界蔓茶羅の不動明王Jr平安仏教学会年報J創刊号2001年25~27 頁館1990年88~103頁220

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