2.元声会の特色態を考察してみたいと思うのである。ただしここでは,現在の研究の進捗状況や紙数の都合などもあって,その個々の資料や作風,あるいは時代状況についての詳しい検討はむずかしいため,これらの詳細についての論考は後日また別の機会にゆずり,あえてこの小論では元声会から珊瑚会への作風変化のおおまかなアウトラインや要点を述べるにとどめて,研究の報告にかえさせていただきたい。元声会は明治33年(1900)3月5日から22日まで,その第1回展を上野公園旧博覧会跡5号館で開催した。発足当時の会員は,大森敬堂,平福百穂,結城素明,福井江亭,島崎柳塙,渡辺香涯の6名であり,さらに同年9月の第2回展に客員として出品した石井柏亭がその中心メンバーのひとりとして加わったのであった。そして元声会では,第1回展開催にあたって,会旨と会規を定め発表しているが,その内容が当時の雑誌にも掲載されている(注3)。この会旨のなかで元声会は,数をもってする主義や,統ーなき団体とは一線を画すことを高らかに誼い,さらに末尾では「その旗職何ぞ,日く自然主義これなり」と述べると同時に,続く会規でも「本会は自然主義を綱領とす」と記すように,そのめざすところの自然主義を明確に表明したのであった。しかし一方で,その自然主義の意味内容ということになると,具体的な言及はこれら会旨や会規なかではなんらなされていなかった。この元声会における自然主義の意味内容を,当時の美術状況はもとより広く文学,思想を視野に入れながら詳細に検討したのが,庄司淳一氏であった(注4)。ここで庄司氏は元声会の自然主義についての考察を通して,そこでのいわゆる自然(nature)の捉えられ方には,西欧で一般的にいわれる現実主義(realism)的な把握ではなく,写実を基調としながらも,単なる写実を超えた理想、や情想をそこに重ね合わせようという,むしろ西欧でいえばロマン主義的な観点が含まれていたと類推している。そしてさらに,そこには西欧の自然観とはまた別個の,Iおのずから然るjという仏教的な概念をもっ自然(じねん)思想が混交されていたとも指摘している。つまり元声会の自然主義には,伝来の東洋的な自然概念と,新来の西欧的な自然観とが互いに絡み合いながら反映されているというのである。そこで注目しなければならない人物が,当時美術批評雑誌の晴矢ともいえる『美術225
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