鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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案の公募を始めたり,さらに第10回展以降とくに半切画の出品が顕著となってきたことなどが示すように,初期の自然主義的な感覚をもっ作品が中心であった元声会の展覧会内容がしだいにその形を変えていったことは象徴的である。図案に関しては,元声会の会員のうち,すでに福井江亭や島崎柳鳴は三井呉服庖の図案意匠の仕事に従事していたし,結城素明,平福百穂は実用図案杜の仕事をこなし,とくに素明は渡辺香涯などとともに,大村西崖らが明治34年に創立した日本図案会にも参加していた。こうした動きは,やがて太平洋画会研究所での会合によって明治40年に発足した日本装飾美術会へもつながっていて,ここには平福百穂,石井柏亭,結城素明,渡辺香涯ら元声会の会員たち,小杉未醒,橋口五葉,森田恒友ら元声会末期の出品者,あるいは山本鼎,坂本繁二郎らの名も見出せる。こうした装飾的傾向をもった作品は,元声会第8回展(明治37年)出品の石井柏亭の「池辺J,第l回文展(明治40年)出品の結城素明の「無花果」をはじめとして,明治30年代後半以降の彼らの作品のなかにも容易に見出すことができ,そこでは特徴的な線候描写と,大胆な色彩の平面化が試みられている。そしてこれらきわめて特徴的な装飾画風が,元声会では会員の作品というよりも,最末期の出品者たちの作品のなかに鮮明に表われていたのだった。現在では雑誌等の図版でしか確認できないが,名取春仙,小杉未醒,橋口五葉,森田恒友,さらに川端龍子らの元声会出品作品には,明らかに特徴的な線傑描写と大胆な色面処理が試みられていることを見て取ることが可能である(注6)。さらに,残念ながらどのような作品を元声会に出品したかは知るすべがないが,出品者の記事のなかには大田三郎,戸張孤雁,倉田白羊などの名も見出すことができ,元声会の末期は,明らかに新しい意識をもった,しかも洋画系の画家群を多く吸収していたことがわかるのである。一方半切画に関しては,とりわけ元声会の第10回,第11回展は半切画中心の展覧会であったようで,そこには大胆な形態や図様の単純化がなされた即興的な小画面作品が並べられたようだ。こうした一種の略画形式による作品の盛行の背景には,当時の新しい挿絵の流行ということが関わっているように思えるが,それは明治30年代頃から挿絵の分野に洋画家が進出するようになったことが大きなきっかけとなったともいえる。そのなかでも象徴的な仕事をなしたのが,明治35年にパリ万博の視察から戻り,挿絵や図案の仕事を積極的に始めた浅井忠の存在である(注7)。そしてさらにもうひとつ,この浅井も大いに関係したいわゆる俳画の流行も,こう227

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