(2)細野正信「東京画壇第二章日本美術協会と中間派グループJ(r原色現代日本(3) r絵画叢誌』第158巻(明治33年3月25日)にその全文が掲載されている。(4) 元声会における自然主義の検討としての庄司氏の論文は,前掲(1)の他,庄司淳一(5) この大村西崖の活動に関しても近年とくに研究が進みつつある。その主な論考(6) この当時は,元声会はカタログを制作しておらず,r美術新報tr絵画叢誌j,r現代の洋画tr方寸』といった雑誌に断片的に掲載される作品図版によって,その(7) この浅井忠の挿絵や図案に関する当時の日本画に与えた影響については,(1)の拙(8) r方寸』では,明治42年2月には特別漫画号を発行している。そこでの記事は,すべてローマ字で記されていて,r方す』自体がそのモデルとしてドイツの『ユーゲント』やフランスの『ココリコJといった「漫画雑誌Jを念頭においたと柏亭が27年~35年)J (r宮城県美術館研究紀要』第3号,昭和63年),あるいは吉田千鶴子「大村西崖の美術批評JO東京塞術大学美術学部紀要』第26号,平成3年3月)の美術』第4巻,小学館,昭和53年9月)では,元声会の活動内容や当時の批評などを紹介し,その流れが珊瑚会成立につながったことが述べられている。また,添田達嶺『明治大正日本画史J中期巻(私家版,昭和30年10月)では,展覧会の開催年次に従って元声会から珊瑚会への流れを出品作品の紹介も含め,比較的詳しく記述されている。「一浪漫派の不和な兄弟一元声会と美術院JU日本美術院百年史』第2巻図版編,平成2年12月)がある。として,庄司淳一「美術と自然大村西崖の「自然」思想J(r日本の美学』第10号,昭和62年5月),同「大村西崖と彫塑会・元声会附大村西崖著作目録(明治などカfある。図様が確認できるものがある。稿「自然主義から非自然主義へ明治日本画の新様相」において詳しく検討している。自伝で述べるごとく,その号はあたかも外国漫画雑誌のような観を呈している。またそこに掲載される漫画は,いわゆる風刺や滑稽を目的とするポンチ絵的な漫画というよりは,人事風俗の情緒やペーソスをこめたいわゆる芸術漫画に類するものであり,それらは同時に創作版画のモティーフにもつながる要素をもったものでもあったといえる。-233-
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