鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
250/716

tive sketch) Jは,わずかの線や点で人物を暗示するもので,それが「日本起源の現代美術」だという(注11)。そして「暗示性Jは,サダキチの美術批評のキー・ワードと1880~90年代の美術批評家たちのなかには,アメリカの印象派作品を,色彩理論にいたアーサー.B・デイヴイス(ArthurB. Davies)の作品〔図1Jには,その「暗示性」がみられるとしている。サダキチによれば,デイヴイスの「暗示的スケッチ(sugges-なってゆく。ホイスラーについても,「彼はつねに東洋のデザインの美しさに西洋美術の原則を結びつけた最初の人物として美術史に名を残すだろう。彼のいくつかの作品にみられる神秘的な雰囲気(そこから確固とした形体が現れたり消えたりする)は,日本の暗示性を詩的に翻訳したものである。それはイリュージョンを創り出そうとするのではなく,むしろそれを暗示しようとするJ(注12)と述べている。執着するあまり,詩的・美的な効果を犠牲にしている,と見るものもいた。サダキチもフランス印象派や,それに強く影響を受けたアメリカ印象派には,他の批評家たちと同じ理由で批判的であった(注13)。彼は,アメリカ絵画は印象派を模倣するのではなく,独自の個性を持つべきだと考えていた。そこで引き合いにされたのが,日本美術の「暗示性」であった。暗示的であろうとする画家たちは,おのずと事物の正確な描写を軽視する。その省略的な手法を,サダキチは日本美術の暗示的な手法と関連づけた。たとえばパーパラ・ローズが指摘するように,スティーグリッツ・サークルのメンバーであったジョン・マリン(JohnMarin)の省略法を用いた作品〔図2Jは,サダキチの目指した絵画に対する答えであったとも言える(注14)。この意味において「暗示性Jは日本美術を起源としながら,ヨーロッパとは切り離された特質として認識され,アメリカ美術に根を下ろすことになった。サダキチはまた,アメリカ写真についても「暗示性」の重要性を説いていた。彼は,絵画と同様に写真も,色と質感を表現することが必要だと述べ,それを「暗示jしているのはフランク・ユージーン(FrankEugene)の作品〔図3Jだとしている(注15)。写真がイリュージョンそのものを求めた場合,それはドキュメンタリーとなる。したがって写真に芸術的価値を認めようとするサダキチは,i何かをく暗示し>,大衆の感情や想像力に真剣に訴えるような写真J(注16)を評価した。そしてスティーグリッツ・サークルのメンバーたちによくみられる,モノクロのグラデーションとソフト・フ-240-

元のページ  ../index.html#250

このブックを見る