町機能的には「民主性jに,共通性を見出していた。「アメリカ的」であることも,サダキチの批評の大きな特徴である。サダキチは日本にもドイツにも住まわず,アメリカに帰化し終生アメリカに暮らした。彼は常に「我々アメリカ人Jという言い回しを使い,アメリカ的風景を描くこと,あるいは撮ることを強く主張している。たとえば,スティーグリッツをはじめ多くの写真家が題材としたフラット・アイアン・ピルデインクやニューヨークの摩天楼は,彼にとって最もアメリカ的な主題であり(注20),アメリカの農夫やカウボーイ,健康的な女子労働者たちの姿もまた,ヨーロッパのそれに劣らず魅力的だと述べている(注21)。ロンドンやパリで活躍したホイスラーについてさえ,彼は「ホイスラーほど今日のアメリカを表現している偉大な画家はいない(ホイットマンは文学の世界でそれを成し遂げた)J (注22)と述べている。ここで彼がホイットマンを引き合いに出しているのは興味深い。前述のようにサダキチはごく若い頃からホイットマンと交流があった。サダキチはホイットマンに,深い精神性をたたえた現代アメリカ人の姿と理想的なアメリカ人労働者の姿を見ていた(注23)。ホイットマンはサダキチに,1結局,桃の木にパラを育てることはできないように,おまえは我々のような生来のアメリカ人になることはできないJと語ったと,サダキチは記憶している(注24)。この記憶:は,彼;がかえって「アメリカ人になるjことに執着したことを物語っているように思われる。サダキチは,ホイットマンの健全な民主主義的理想、と愛国精神に,アメリカ的美徳を感じ取ったのではないだろうか(注25)。概して日本絵画は,ジヤボニスムの文脈のなかで,花鳥画に代表される装飾性において評価されてきたが,それは,人間の理想、や思想、を表現することを重視する西洋絵画と同レベルで批評されたのではなかった。一方サダキチは,1<日本美術は装飾的である〉という我々の批評は,何度も繰り返されてきた。なんと意味のない言葉であろうか。J(注26)と述べ,日本美術が装飾性によってのみ評価されることに不満を抱いている。彼は日本美術を「暗示性jという言葉で,物語性を喚起し得る思索に富んだ芸術として,西洋絵画と同じ土俵で評価しようとした。しかしサダキチはまた,このような日本美術に対する自負とは裏腹に,自らの出自に劣等感も感じていたように思242
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