鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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9月~(連載中)注(1) T. J. Jackson Lears, No Place of Grace, Antimodemism and Transformation of (4)太田三郎『叛逆の芸術家世界のボヘミアン=サダキチの生涯』東京美術,1972 年,越智道雄「サダキチ・ハートマン伝Jr三省堂ぶつくれっと.1No. 132, 1998年われる。サダキチは1902年から17年まで,本名とは別に,シドニー・アラン(SidneyAllan)というペンネームを使っていた。ウィーヴァーによれば,サダキチはシドニー・アランとして講演する時は紳士的な服装をし,I良い趣味と常識的なJテーマを取り上げたという(注27)。このいかにもアメリカ人らしい名前からは,彼が日本人の血を引いていることは決して分からない。サダキチは,シドニーを名乗ることによってその出自を隠し,上流階級のアメリカ人を演じたのだろう。サダキチの日本美術へのこだわりは,彼の日本に対する自負と劣等感から,上流階級のボストン・ブラーミンとは異なる立場で,アメリカ美術界に食い込もうとする姿勢のあらわれではなかったか。H'L'メンケンはサダキチの著作を高く評価し,Iグリニッジ・ヴイレッジの美学改革者J(注28)と評した。革新主義時代のアメリカで,ピューリタン的ないわゆる「お上品な伝統(genteeltradition) Jをはげしく攻撃したメンケンは,サダキチに共感する部分があったに違いない。民主主義は,アメリカ人になろうとした混血の移民・サダキチが発したとき,にわかに現実感を帯びてくる。日本美術を手がかりにしながら,アメリカ的なるものを追求したサダキチの批評は,多民族国家のアメリカにおいて,平等に芸術を分かち合おうとする試みのひとつとして捉えることができる。American Culture, 1880 -1920, Chicago: Th巴Universityof Chicago Press, 1994 (初版1981).(2) Sadakichi Hartmann Newsletter, University of Califomia, Riverside, Fall 1969 Spring 1975. (3) Jane Calhoun Weaver, Sadakichi Hartmann: Herald of Modemism in American Art, Diss. University of North Carolina at Chapel Hill, 1985; Jane Calhoun Weaver (ed. ), Sadakichi Har伽ann,Critical Modemist, Collected Art Writings, Ber-keley : University of Califomia Pr巴ss,1991. -243-

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