なるのである。第一次大戦で被災したベルギー人画家を救うためのチャリティーとしての「欧州大家絵画展覧会」については,次に紹介する『たつみ』の記事がいち早く伝えている。「今度洋画家石橋和訓氏の手を経て英国の名画家ブラングヰーン氏より其製作せるエッチング百余枚を宮内省へ献納することになった,荷物は未だ着いて居ないが到着の上は三越呉服庖で展覧する筈でJ(注10)という記述より,献納を前提とした展覧であることが分かる。その後,石橋は『新美術J大正7年6月号に「英国画家のエッチングjと題する一文を寄せる(注11)。記事の最初に「欧州大家絵画展覧会」を紹介し,その後エッチング技法について述べている。さらに石橋は日本の墨画とエッチングが共鳴するとして次のようなブラングインの発言を紹介している。「プラングヰーン氏は,夙に日本の絵画や,日本人の生活について研究した結果,日本の座敷は光線が床に当って反射するから,下の方が明るくて上の方が暗い,其の暗い処に掛物や額がかけられであって,墨画などが最も調和して居るから,墨画と同趣味のエッチングも亦日本室の装飾として調和するであらうと云ふ意見でJ(注12)作品だけでなく,それが飾られる空間についてもブラングインが意識していたというのは,今まで論じられたことがない。しかしこのことは,後述する「共楽美術館」構想、でのブラングインの役割を考えるうえでも重要な点である。大正7年6月1日から10日まで日本橋三越呉服屈で開催された「欧州大家絵画展覧会」では,プラングインの版画104点と,その他イギリス・ベルギーの画家8名の油彩・水彩画などが展示された。この展覧会の詳細については,上述した拙稿「国立西洋美術館寄託フランク・プラングイン版画104点の来歴についてJU国立西洋美術館研究紀要No.3 j 1999年3月)を参照されたい。とくにエッチングについては,船のモチーフ〔図1Jや,風車などオランダ・ベルギーの風景〔図2Jその他イタリア風景などが主であった。つぎに,この展覧会に対する反響をまとめたい。『美術旬報』大正7年6月19日号(注目)は,もっとも早い展覧会評であろう。そこには八潮生による「プランギンのエッチングjと,南薫造による「欧州画家作品展覧会を観るjがおさめられている。このなかで注目すべきは,八潮生が次のようにプラングインを批判しているくだりである。「ブランギンの画が殆ど熱狂的に社会に迎へられたのは強い刺激を要求している時代に,此の絵が強い刺激を以て生れて来たと云ふ事が大なる原因をなしたのではあ-249-
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