⑫ ニ腎琵琶弾奏弁才天の研究研究者:文化庁文化財部美術学芸課文部科学技官川瀬由照はじめに弁才天像は,七福神の一神としてわが国の仏像の中でももっとも信仰されている尊像である。その像容はよく知られているのは女神像で長袖衣の上に櫨楢衣を着して,二管で琵琶弾く像か,八管で各手に持物を執る像であろう。八腎像は奈良時代から作例があり,中世以降二管の像や琵琶を弾く像が多く造られる。このように弁才天像の形状には大きく分けて二種あるが,とくに中世あらわれてくる二骨像や琵琶弾奏像がそれまでの八管像とどのような関連であらわれるのか,それらの差異について論ぜ、られることは多くはない。本研究ではこうした琵琶を弾ずる二管の弁才天像の成立と展開について+食言すしたい。一わが国古代の弁才天像弁才天像の遺品のなかでもっとも古いのは東大寺法華堂に安置されている塑像であろう。本像は警を結い,大袖衣,その上に鰭袖衣を着用して立つ八骨の弁才天像で同堂内で吉祥天と対をなして安置され,天平勝宝六年以前の制作とみなされている。本像は『金光明最勝王経』大弁才天女品等に説く護法神として,入管を有し各手に持物を執る天女像として説かれているのにならったものとされている。弁才天の形姿はこのような女神で八腎像が通例となる(注1)。平安時代には弁才天像の遺例は少ないが,大阪・孝恩寺像には木彫で十世紀頃の入管像がある。いっぽう平安初期に空海らが請来した密教経典や図像類には二曹の弁才天像がある。画像では,醍醐寺五重塔初重壁画中にある連子窓羽目板に描かれた彩色の弁才天はそれまでの女神像ではなく,上半身裸形の菩薩形であり,二菅で琵琶を弾じるように坐す。これは胎蔵量茶羅の最外院に描かれる弁才天像で,高雄蔓茶羅や伝真言院蔓茶羅などにある形姿の弁才天像である。この弁才天像は密教の請来によってもたらされたもので,下半身に桔を着け,上半身裸形で,左足をやや立てて坐して琵琶を弾く形姿をとる。平安時代までの弁才天像の作例はまことに少ないが,文献史料等には入管像も造られていたことなどが知られる。中世になると先述のような入管像の制作がにわかに多くなる。これは奈良時代より-258-
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