鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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つ山6 ⑫ 貞慶と重源をめぐる美術作品の調査研究一一釈迦・舎利信仰と宋風受容を中心に一一研究者:東北大学大学院文学研究科博士課程瀬谷貴之はじめに『源平盛衰記』巻二十五・大仏造営奉行勧進事には,俊乗房重源の臨終に際し,次のような記事がある。建永元年六月五日ノ夜,解脱上人ノ夢ニ,重源コソ裟婆ノ化縁既二重テ,只今霊山ヘ蹄リ侍ルト示シ給ヘリ,夢二驚テ,急、キ人ヲ遣シテ尋問ヒ給ヘハ,此暁既ニ和尚東大寺ノ浄土堂ニテ入滅ノ由答ケリ,誠二法界唯心ノ花厳ノ教主ヲ再ヒ造鋳ノ為ニ,大聖釈迦如来ノ化現シ給ヒケルコソ貴ケレ,これは解脱房貞慶と重源がお互いを,i生身ノ観音J(貞慶)i生身ノ釈迦J(重源)と見なして崇拝したとされる話の一部である。ここからは両者の密接な関係と,釈迦信仰が紐帯であったことが窺われ興味深いが,r盛衰記』は後世の編纂物で,記述のすべてに信用を置き難い。しかし,両者の関係については,その他の史料からも知られ,いくつかの研究で部分的に触れられたこともある。本研究は改めて,貞慶と重源の関係が密接で,その中心に宋の影響を受けた釈迦・舎利信仰があったことを,関係する美術作品や史料の考察・再検討を通して,より具体的に明らかにしたいと思う。そして最後に,貞慶周辺からみた,鎌倉時代の美術史上重要問題の一つである,いわゆる“宋風"受容の在り方についても考えてみたい。一『讃イ弗乗抄』の再検討一貞慶作文集として一貞慶研究で重要史料とされるのが,貞慶作の願文・勧進状.a風論文などを多く収録し,その関与した造寺・造仏を知ることができる『讃悌乗抄(紗)jである。岡本は現在,東大寺に僧宗性筆の「第八J[寛元4年(1246)Jが所蔵され(注1) ,金沢文庫にも称名寺所蔵の第八以外の写本が保管されている(注2)。そして近年,金沢文庫本とほぼ同内容で,その欠落部分を補う,東寺所蔵『逸名勧進状類従残篇』と『貞慶抄物』が紹介された(両本はもと前後一本,(注3))。一方,その成立背景については,安居院流唱導集と位置づけて天台系,貞慶の作文を多く含むことから南都系とする,二説が行われてきた(注4)。また,作者や編纂者

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