も今ひとつ明確ではなかった。そこで,本研究では『讃悌乗抄(妙).1について,改めて諸本の内容を検討することにより,以下のことが判明した。①安居院流唱導集とする説は金沢文庫本の錯簡による誤認である。…櫛田良洪氏は金沢文庫本について,安居院流唱導の祖である天台僧澄憲(貞慶叔父)作の願文が多く含まれることから,これを同流唱導集として位置づけた。実は櫛田氏がその根拠とした部分は,金沢文庫保管の安居院流唱導集『転法輪室長、』密教上帖からの脱落部分が,r讃f弗乗紗J山庄帖に紛れ込んでいたものである。②諸本に収録される作文のうち,年紀の分かるもの全てが貞慶在世中〔久寿2年(1155) ~建暦3年(1213)Jのものに限られる。…東大寺本は治承4年(1180,26才)から建暦3年(59才),金沢文庫本は文治2年(1186,32才)から建暦2年(58才),東寺蔵『逸名勧進状類従残篇』と『貞慶抄物jは文治4年(34才)から建暦2年までの作文で構成される。③ 無署名でも,文意や関係史料から,貞慶起草とわかる作文を諸本に含む。…例えば,東大寺本所収「地蔵菩薩造立作善文JC建久5年(1194)頃〕は,法相僧による貞慶の叔父藤原惰範の供養作善文であり,岡本所収「新薬師寺十三重石塔供養文」は,貞慶が建仁2年(1202)新薬師寺釈迦堂を建立し(r新薬師寺縁起.1),同堂長日法華経供料水田一町を寄進していることから(1永仁二年八月日新薬師寺衆分寺僧等申状Jr楢のくち葉』所収),両文とも貞慶起草かとみられる。また金沢文庫本所収「興福寺僧綱等北円堂勧進状jと「興福寺政所下文JCともに建永2年(1207)Jは,東大寺蔵『弥勤如来感応抄J第ーにも収録され,同抄で貞慶起草であることが明らかにされている。東寺蔵『逸名勧進状類従残篇J所収「菩提山寺十三重塔勧進状J(建久5年)は,高野山持明院蔵『表訊讃雑集』で貞慶作とされ,同残篇所収「興福寺五重塔勧進状J(建久8年)も,貞慶がその勧進活動を行っていることから(r三輪上人行状.1),これも同作とみられる。④ 東大寺本は,宗性により寛元元年(1243)に編纂された『祖師上人御作抄.1(注5) に基づく。…東大寺本には,本文途中の抹消線下に「祖師上人御作抄願文表白等部」とあり,この後に続く諸作文は,貞慶作の可能性が指摘されていたが(注に宗性が編纂した『祖師上人御作抄』にあたる部分がある。そして,その奥書で「寛元四年四月二十六日…願以此書霧交賭再治習皐之微功,必、震彼祖師上人値遇引6) ,実は一丁づっの端裏書を検討すると,これより前の部分にも寛元元年閏7月-267-
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