⑫ 15世紀マントヴ‘ァ宮廷における君主称揚のレトリック一一〈カメラ・ピクタ〉の場合一一研究者:お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士課程松下真記1.先行研究と問題の所在主ルドヴイコ・ゴンザーガ侯のために,恐らく1465-1474年の間(注1),侯爵宮殿内サン・ジョルジョ城の北の主塔にある一室に大規模な壁画装飾を施した。その当時〈カメラ・ピクタ>(描かれた間)と呼ばれ,現在ではくカメラ・デッリ・スポージ(夫婦の間)>と通称されるこの一室には〔図1],北壁に「宮廷j場面〔図2),西壁に「避遁」場面〔図3)が描かれ,天井頂部には踊し絵として有名な「円窓J(図4)が描かれている。その天井からアーチに沿って疑似ヴオールト装飾が描かれ,その間隙に円形浮彫を模した古代皇帝の肖像が描き込まれる。その下の三角小間には,死と再生の神話場面がやはり疑似浮彫として描かれている。一方南壁,東壁にはひかれたカーテンが描かれるのみである。このくカメラ・ピクタ〉壁画装飾の研究史については,既に小佐野氏の明解な紹介があるので最小限にとどめたいが(注2),ただこれまでの研究傾向としては以下のことが指摘出来ょう。すなわち研究対象は,いま上記した通りの順で拡張していったということである。研究のテーマは,主要場面である「宮廷JI避遁」場面の主題同定からはじまり,次第に他の壁画部分を取り込んで、壁画全体の装飾プログラムという観点を考慮するものとなり,やがては部屋を越え出て同壁画の宮殿全体の中での位置づけ,あるいはマントヴァの都市計画全体の中での位置づけ,といったより広範な視野を用いたものへと展開していった。小佐野氏も特筆するように,これらの成果全体はチエリ・ヴイアの論考に纏められている(注3)。以下チエリ・ヴィアに従うが,彼によればまず,天井に開口部を持つくカメラ・ピクタ〉に描かれた建築構造は,アルベルテイの『建築論』との照合から類型学的に古代のアトリウム建築を想起させる。古代ローマのアトリウムは,家族が火を囲み寝室ともなる私的空間であると同時に,主人が客をもてなす公的空間の機能も有していた。こうした多重的機能は当時のくカメラ・ピクタ〉が有していた「寝室」「謁見の間JI貴重品保管室jとしての機能と一致している。またローマのアトリウム1460年よりマントヴァ宮廷画家となっていたアンドレア・マンテーニャは,同国君-279-
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