鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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機卿位入手によって達成された,ゴンザーガ家の宗教的権力の確立が宣言されている。パルパラは,新枢機卿フランチェスコの誕生にあたっても大変重要な役割を果たしている。ゴンザーガ家は1459-60年のマントヴァ公会議ののち,次男フランチェスコを枢機卿に仕立てるための大々的なキャンベーンをはじめた。ドイツと縁の深い教皇ピウス2世は,パルパラの叔父アルブレヒト・アヒレスと懇意であった。この叔父アルブレヒトは皇帝フリードリヒ3世と大変親しく,またパルパラのことを大変可愛がっていた。パルパラはこうしたドイツ側の人脈を通じて既にマントヴァ公会議の実現という成果を上げていた(注6)。さらにピウス2世自身もパルパラのプランデンブルクの血筋とその聡明を大変気に入っていたという(注7)。この枢機卿位獲得運動は,次男フランチェスコが16歳という若さであることも手伝って難航したが,結局彼は母の助力のもと1461年12月18日枢機卿に任命された。これは,パルパラに近しいある枢機卿がもらした通り,1ピウス2世が承諾するとしたらそれは皇帝フリードリヒ3世へのおべっかとしてであり,母方の血筋,神聖ローマ皇帝お気に入りのパルパラの血筋であることを評価するからJこそ生じた結果であった(注8)。以上見てきたように,侯爵位の確立と強化を喧伝する「宮廷」場面において,パルパラは中央に座す。集いの中心にいるパルパラとの結婚を讃える意図は明確である。この夫婦の結びつきが一族の中核,一族の政権発生の核心にあることが喧伝されている。一方枢機卿位の確立を喧伝する「避遁」場面にパルパラはいないが,パルパラがこの祝福すべき出来事をもたらすのに一役買ったことは周知のことであった。半ば世襲化されてゆくこの宗教権力の端緒もまたパルパラとの結婚によってこそもたらされたものであることは,背後にハプスブルク家皇帝フリードリヒ3世と思われる人物が描き込まれることで強く暗示されている。この部屋がリドルフィ以来「カメラ・デッリ・スポージ(結婚の間)Jと通称されるのも偶然ではない。この部屋はこうしてルドヴイコとパルパラの結婚を称揚する空間であるが,と同時に結婚を司るユノの空間であるからである。天井を見上げると,オクルスにはユノの持物である孔雀がいる。その開口部に広がる空は,四大元素のうちユノと結び付く空気を暗示する。このようにくカメラ・ピクタ〉で称揚されているものは,栄光に満ちたゴンザーガ家という新たな自己証明(アイデンティティ)の根拠となるものである。即ち,世俗的にも宗教的にも権力を勝ち取るための最初にして最大の根源となった,ルドヴイコとパルパラの結婚である。-282-

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