3.君主と国家の結婚13世紀に登場したその「国家の神秘体co甲山reipublicae mysticumJという概念はやがところで,カントーロヴイツチは,I神秘体」という語が世俗界と宗教界の間で相互にパラフレーズされてゆくことで「君主と国家の結婚jという概念が確立されてゆく過程を以下のように概説している(注9)。本来中世神学の中で「神秘体」という言葉は,聖別された聖体,ホスティアを意味するものであった。即ちキリストの体を意味していた。ところが12世紀半ばになるとこの言葉は派生した意味を持ち始め二重化されてゆくようになる。つまり「神秘体」はキリストの体,聖別された聖体という従来の意味を持つのみならず,もう一つ,制度的・団体的な教会全体を意味するようになる。例えば1200年頃のパリのトゥルネのシモンは「キリストの身体には二つのものがある。一つは彼が聖処女マリアから受け取った人間の肉体であり,もう一つは霊的な団体,すなわち教会の団体である」と述べている(注10)。また1302年ボニファチウス8世は「キリストを頭とする一つの神秘体」として教会を定義した(注11)。こうしてキリストの体の中には自然的/神秘的身体,個人的/集合的身体,人格的/団体的な身体という二重の意味が見い出されるようになるが,この二重化はやがてキリストと王の交換関係を生み出しながらさらに以下のように世俗界へパラフレーズされてゆく。聖職上の官僚制を含む教会が「キリストの神秘体」として確立された12世紀の同じ頃,一方で世俗の領域は自らが「神聖なる帝国J(sacrum imperium)であることを標梼していた。世俗の側は,神学者達が用いる「教会はキリスト教の政体」あるいは「教会の王国regnumecclesiasticumJ I教会の,使徒の,教皇の君主国principatus民clesias-ticus, apostolicus, papalisJといった表現との類比関係を根拠に,やがて「国家の神秘体jという観念を形成させた。一方教会側さえも,かつては典礼上のホスチアの上に統合される教会を意味していた「神秘体jという語を,教皇を皇帝になぞらえながら「キリスト教の全政体を動かし規律する第一の君主primusprinceps movens et regulans totam politiam ChristianamJとして高挙する手段として用い始めていた。こうして「神秘体」をめぐる「キリスト/教会JI教皇/教会制度JI頭/体jという意味の二重化は,神学と法学の中で相互交換的に隠輸と転用を重ねることで,I王/政体H君主/国家」というレベルにまで応用されていった。-283-
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