鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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て,固有財産の不可譲性を論ずる際の「支配者とその王国の結婚jという法学的比輸を生み出すに至った。14世紀のナポリの法学者ルカス・デ・ベナは,君主は明白に「国家の夫maritusreipublica巴」であり,1教会と高位聖職者の聞に霊的かつ神的な婚姻が結ばれたようにJ,君主と国家は「道徳的かつ政治的婚姻matrimoniummorale et politicumJ を結ぶと説いている(注12)。さらに彼は君主とキリストをも同列に置き,1キリストが異国で生まれたもの,すなわち異教の教会を自らの妻として迎えたのと同様に,…君主は,所有権に関して彼のものではない国家を,彼が支配権を手にしたときに自らの妻(スポンサ)として迎えるのである」と述べている(注13)。キリストと彼の教会を花婿(スポンスス)と花嫁(スポンサ)とする伝統的イメージは,こうして君主と国家の関係を明確にしようとする法学理論の中で,霊的領域から世俗的領域へと移された。ここで「神秘体jの基盤にある「頭/体」の比輸を借用してみるならば,マントヴアの町の中心部に建てられたキリストの御血を聖遺物とするサンタンドレア聖堂はまさに町の心臓部にあたり,一方町の北端に位置する侯爵居城のカメラ・ピクタの北塔は「ゴンザーガ枢軸」の北端,すなわち町の頭にあたる位置をなしている。カメラ・ピクタは国家の頭たる場所に位置し,まさに君主が存在証明を表明する場として相応しい。またルカス・デ・ペナの「君主は国家の中にあり,国家は君主の中にあるjという文言は(注14),カメラ・ピクタがアルベルテイ的意味で国家のミクロコスモスであったことを想起させもする。しかし神学的法学理論に立ち戻るならば,カメラ・ビクタとの関連で重要なのは,典礼という秘蹟の場で「神秘体J(ホスティア,教会制度)が完成するように,結婚という秘蹟の場で「国家の神秘体」が完成されることである。換言すれば,典礼の秘蹟を通じて,キリストの肉(ホスティア)と教会制度を一身に体現するキリストの身体が十全な意味を持って立ち現れるように,ルドヴイコ侯は,I君主/国家Jの結婚の秘蹟を通じて,君主と国家の両方を一身に体現する完成された主体として立ち現れることカすできる,ということである。前述した通り,天井に描かれた疑似空間上最も高い位置にある孔雀と空とによって,この部屋全体が結婚を司るユノに支配された空間であることが判る。その描かれた開口部には孔雀と大気の他にプット達も描かれているが,このプット達は,孔雀の羽根を拾い集めてユノに渡した神話と結び付くのみならず,王と国家の結婚を暗示す284

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