注(1) 制作開始年の推定は,窓枠の漆喰の上に大理石模様に混じって書き込まれている(2) 小佐野重利,r記憶の中の古代t中央公論美術出版,平成4年,232-239頁(3) 小佐野重利,前掲書,pp.233ff. ; C. Cieri Via,“Il luogo della Corte: la < Camera Te, 1987, gennaio-giugno, n. 6, pp.23-44. (4) これまでの代表的なカメラ・ピクタに関する研究を挙げておく。4.結語こうして見てくると,<カメラ・ビクタ〉では二つの結婚が祝福されているようにみえる。ルドヴイコとパルパラという一組の夫婦の結婚と同時に,その結婚を通じてもたらされる恩恵であったところの,君主と国家の結婚のことである。あるいはカントーロヴイツチ風に言い換えるならば,I王の二つの身体」のうち,死すべき生身の王の身体によって行われる実際の結婚と,王権としての象徴的な王の身体によって行われる象徴的結婚との,両方が称揚されていると言える。〈カメラ・ピクタ〉でこれら三つの結婚が同時に称揚されていることと,リアリティーとアンリアリティーの空聞が意図的に交錯されていることが,分かち難く結び付いている点は興味深い。リアリティの中には,塔の内部のほぼ立方体の実際の部屋があるだけであり,また王の死すべき身体があるだけである。一方アンリアリティの中には,描かれた壮麗な疑似建築があり,不死の王のあらゆる表象があり,王の王権の主体たる根拠がある。この壁画装飾は,王が,そのアンリアリテイの空間に身を置き,それと一つのものとして組み合わされた,いわば結婚したその瞬間にこそ,その空間に施された虚構が十全の意味を持ってリアルの中に立ち現れるように制作されている。こうして,マンテーニャの愛した「目踊し」は,単なる現実感の強化のためでもなく,宮廷的滑稽と笑いのためだけでもなく,また街学的なまでの古代趣味を披涯するためだけでもなく,象徴的な王権論的意味空間をリアルな形で立ち上げるためにも用いられていたことが判るのである。1465という年記に由来する。完成年の1474年は西壁に描かれた献呈板の中に記載される。picta> di Andrea Mant巴gnanel Palazzo Ducale di Mantova", Quademi di Palazzo Brown, C. M. ,“New Documents for Andrea Mantegna's Camera degli Sposi", The -287-
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