ような室町時代に描かれた画題と「誰ケ袖図jとのかかわりを探る必要もあろう。ところで,i誰ケ袖図」については,人物をともなう「誰ケ袖美人図Jと呼ばれる作品ものこっており,これまでも「誰ケ袖図jとのかかわりが言及されている。しかし,筆者は,後で改めて触れるように「誰ケ袖図」成立の要因を和歌の造形化であると考えており,人物を伴わない「誰ケ袖図」が「誰ケ袖美人図Jに先行する可能性が高いと考えている。そのため,ここでは特に人物を描かない「誰ケ袖図jと「武蔵野図j「柳橋水車図jとの共通性に注目するのだが,さいごにあえて人物不在というキーワードをあげておきたい。むろん「武蔵野図Ji柳橋水車図jのように基本的に風景をあらわした画題に人物を描かないことがとりたててその特徴となるわけではないが,むしろ,先述の金の使用,工芸的技法,連続性という共通する造形的特質の結果,各画面に人物が存在することを拒むような雰囲気をつくりだしている可能性が少なくないように思われるのである。各画題の共通性により高められた意匠性が,人間の存在を感じさせない画面をっくりだしているのではないかという可能性を提示し,詳細は今後の課題としておきたい。そして,これまでにみてきた金の使用,工芸的技法,連続性,人物不在のいずれもが,これらの画題を意匠性の増大へと向かわせている可能性を指摘しておきたい。さて,筆者は以前,i誰ケ袖図」が和歌の造形化であるという可能性を示したが,「武蔵野図Ji柳橋水車図」についても同様の指摘がなされている(注3)。佐野氏が,i日本の紙扇は,早くより折り畳めることによって人気を博し,またその精妙さ・絵様の面白さを賞でられていたのだが,十五世紀に入り公的な進物品として多量の扇が選ばれた背景には,意匠や装飾手法を発展させ絵画と工芸の接点として装飾美術の可能性を追い求めた扇面画の表現の飛躍,造形の活性化があったことは言を侯たない。」と述べておられるのをはじめ,室町時代,扇面画が盛んに制作されたことはしばしば言及されている。また,このことは諸文献からも明らかであるが,それらの扇は,贈答用あるいは鑑賞用としてさかんにもちいられていたことがわかる。そして,これらの扇面には和歌を主題とした絵が施されたものがあり,それが近世初期の大画面絵画に転じたと考えられている。本研究でとりあげた画題は,いずれもが大画面に絵画化される以前に,扇面画あるいは貝などの小画面に造形化されていた可能-299-
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