⑮ 明兆による中国画の学習研究者:東京芸術大学非常勤講師仙海義之南北朝・室町期に活躍した,東福寺の画僧,明兆に五百羅漢図50幅の画作がある。現在,東福寺に45幅,根津美術館に2幅の合わせて47幅が確認でき,それぞれ,重要文化財に指定されている。これらは各173.6cm X89. 4cm程のす法を持つ絹本着色面である。いずれの幅にも十尊ずつの羅漢を描き,もとは50幅の五百羅漢図として制作されたものと推測される。至徳3年(1386)10月17日の日付を持つ,性海霊見筆『東福羅漢供政j(東福寺霊源院所蔵)に,明兆が「曾図五百大阿羅漢,鎮之於山門Jした旨の記述がある。明兆の五百羅漢図は,この日付以前,既に完成していたものとみられる。五百羅漢図には,大徳寺に南宋淳照5年(1178)銘,寧波の林庭珪・周季常筆の100幅本が有る。東福寺本を構成する主要な図様の全てが,大徳寺本の上に見出される。東福寺本は,明兆の画業の出発点とも言うべき大作であるが,これは大徳寺本を学ぶ事によってはじめて成ったものなのではないか,と指摘されている。しかし,大徳寺本は各幅に5人ずつの羅漢を描く100幅であるのに対し,東福寺本は各幅に10人ずつを描いて50幅とする等,相違点も見られる。明兆は東福寺本を制作するに当たり,どの様に大徳寺本を学んだのであろうか。今回,ここに報告するのは,東福寺本と大徳寺本との比較研究の内,研究の基盤的な整備段階に於ける作業の紹介とその作業を通じて得られた所見の一端である。現段階では,各研究機関が揃えている写真資料を活用し,両本の図様を比較する作業を行っている。両本に表わされる羅漢達の風貌・姿態・着衣・持物,これに付き添う異形の者・鳥獣,背景となる建築物・植物・山水等の図様の異同に関し,逐一,これを検証する。これにより,明兆の作画の様子を,より具体的に掌握する事が可能である。大徳寺本を模した部分はどこか逆に大徳寺本の内で省かれた部分はどこか。明兆が新たに描き加えた部分はどれか,別の画幅から転用した部分は無いか,画面の再構成の為にどの様な工夫を施したか。これらの観点によって画面を精査し,結果として,明兆による中国画学習の実態を明らかにする事を目的とする。研究の初段階として,まず第一に両本の対応関係を明らかにする事が必要である。しかしながら,ここで困難なのは,東福寺本にせよ大徳寺本にせよ,それぞれ50幅・「五百羅漢図」東福寺本と大徳寺本との比較一一304
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