鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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つd大徳寺本の他の画幅にも見当たらず,他の本から学んだか,或いは,明兆の創意によるものかいずれかである。また,2頭の獅子が重なる事をさけてか,D56での獅子と牛との位置を取り替える等,画面の再構成が企てられている。しかし,獅子を追加して一座を設けたものの,十羅漢にする為に増やす,残りの四羅漢に正しく座を与える事はかなえられていない。四人は,他の羅漢達と獣との間隙に巧妙に差し挟まれ,全体としてあたかも一団の隊列をなしているかのように破綻無くまとめられている。原画の五羅漢を十羅漢に増やすに当たり,その配置に苦心の程が見られる例である。逆に見れば,この図様の原画は,既に十羅漢の幅として完成されたものであったとは考えられず,五羅漢の図様を原画としたからこそ,不自然な構図とならざるを得なかったものと捉えたい。〔図4)として掲げた東福寺本T33の画面上部から左下にかけての主要な図様は,〔図5)大徳寺本D5の阿部分に,4人の羅漢を追加する変更はあるものの,D5の図様をほぼ継承したものである。しかし,D5の画面右下で,錫杖を持って右方へ歩む一羅漢が表される部分は,T33では,(図6)大徳寺本D41の画面右下からヲ|かれた,鉢を囲む3人の羅漢達の姿に置き換えられている。D5では,老樹の虚の中で禅定に入る聖僧を,他方,D41では,嵯下で禅定に入る聖僧を,それぞれ賛仰する羅漢達の様を表す事が主題となっている。こうした主題の繋がりから,T33に於ける図様の統合が想起されたものと推測する。東福寺本に於いて,画面が再構成される場合のあった事を示す一例である。しかし,こうして図様の合成が見られる画面の場合に於いても,それぞれ合成された図様の部分を大徳寺本の上に探し当てる事ができ,大徳寺本の図様を以て,東福寺本の図様を説明する事ができるというのは,むしろ,両本の密接な関係を物語るものとして捉えうるであろう。以上,述べ来たった事柄は,東福寺本と大徳寺本との関係を考察する為の,ほんのー材料に過ぎない。両本の関係を理解する為にはより多くの比較材料を構えねばならない。東福寺本下絵ばかりでなく,本報告の内に触れる事のできなかった円覚寺本の図様に就いても資料化を進め,他日また,報告の機会を得たいと考えている。本報告書では,こうした研究の展望を示す事を以て締めくくりとしたい。

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