にdqtu ⑫ 中国南朝陶備の諸相一一湖北地区を中心として一一研究員:大阪市立東洋陶磁美術館学芸員小林中国南北朝時代の美術史研究において,南北聞の影響関係が従来大きな問題のーっとして議論されてきたが南朝美術の遺例が北朝に比べ少ないという点は大きな障害となっていた。そこで筆者は北朝はもちろん南朝の領域からも出土している備に注目した。近年は,とくに南朝文化の地域的な多様性をテーマとして研究を進めており,これまで安康・漢中地区や徐州地区など当時の南北境界地域の備に見られる独自性,特殊性に着目してきた(注1)。その中で,かつて西貌時代に比定された険西省漢中崖家営画像碍墓(以下,崖家営墓とする),湖北省嚢陽買家J中南朝画像碑墓(以下,嚢陽墓とする),河南省部県南朝画像碍墓(以下,部県墓とする),そして陳西省安康長嶺郷南朝画像碍墓(以下,安康墓とする)出土の陶備が,南朝と北朝の境界地域で生まれた特殊な南朝陶備であることを明らかにし,これら漢水上・中流域一帯には南朝文化の中心である南京とは異なり北朝の影響を受けた独自の文化圏が存在したことを指摘した(注2)。そこで次に問題となってくるのが湖北地区における南朝備の実体である。湖北地区は漢水の中・下流域にあたり,とくに武漢地区は南京とは長江でつながり,政治・経済・文化などあらゆる方面で南朝において重要な地域の一つであった。今回は,漢水上・中流域の南朝画像碑墓の中でも武漢地区と地理的に最も近い裏陽墓の陶備を中心に,i:莫水流域の南朝間備の様相を改めて考えるとともに,武漢地区の南朝備が漢水上・中流域や南京の南朝備との関係においてどのように位置付けられるかを明らかにしたい。なお,ここでいう湖北地区とは現在の行政区分である湖北省を指すもので,あくまで便宜的に用いることにした。2 裏陽買家沖南朝画像碍墓出土の陶備について裏陽墓からは44体の陶備が出土しており,南京一帯の南朝画像碑墓では一般的に備が10体以上出土した例がほとんどないという状況を考えた場合,その数の多さは注目される。南北境界という地理的な特殊性を背景に,裏陽墓には多くの陶備の副葬を特l はじめに(1) 偏の出土数とその構成仁
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