鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
343/716

二種の壁面構成が意味しているのは,ひとつひとつの場面にその内実を形成する性質をもたせたサイクル・プログラムと,何らかのテクストに対応したナラテイヴ・シークエンスを場面の配置に直接反映させる意図をもたせたサイクル・プログラムとの違いである。そう考えると,Iニコラオス伝jサイクルは,本聖堂の装飾プログラムの理念の中では例外的であると位置づけらける。即ち,各場面を区切る縦椋がないことから,何らかのテクストに対応したナラティヴ・シークエンスを前提としている後者のサイクル群に属するにも拘わらず,ここでの場面配置は,聖人伝テクストの収録順序とは一致しない配置をみせており,プロット・シークエンスの原理が働いていないという,I聖人伝イコン」の場合と同じ様相を呈していると見倣すことができる。これらの事実から,オルフアノス聖堂の「ニコラオス伝Jサイクルが構想,制作されるにあたって,いわゆる手本帖というよりは,ニコラオスの「聖人伝イコンJ,或いは,それに準ずるイコンから直接想を得ていた可能性は十分に想定できるだろう。各場面の配置や,ニコラオスの説話図像に関するテクストとイメージの問題という観点からこれまで検討してきた様々な作例も併せて考えると,聖人伝テクストとイコンやフレスコの画像とが,互いに参照しあうことなく,別個に流通していた可能性があるということである。同時代,およびそれ以前のイコンのいわゆる教則本が残されていない以上,このことは推測の域を出ないが,ニコラオス伝の彩飾写本の現存作例が一点、も確認されていないという事実も,テクストとイメージとが何らかの形で連動した形では普及していなかったことを窺わせる。とするならば,オルファノス聖堂のフレスコがイコンそのものを参照していたことは大いに有り得ることである。他の諸聖堂との比較検討次に,ニコラオスの説話サイクルをその装飾にもつピザンテイン時代に属する教会堂について,本節の冒頭であげた第二の留意点を念頭に置きつつ考察をすすめよう。比較分析の対象としては,まず,プリズレンのボゴロデイツァ・リェヴィシュカ聖堂(アストラパスの署名/1307-13年),スタロ・ナゴリチノのスヴェテイ・ジョルジェ聖堂(1317/18年)があげられる。これらは一般にミルテイン王様式と呼ばれる王のお抱え工房のリーダーであったミハイルとエウテイヒオスの手による一連の聖堂のうちで「ニコラオス伝」サイクルをもつものである。特に後者は,オルファノス聖堂との類縁性がどの研究者によっても指摘されてきた重要な事例である。次に,マケドニア,333

元のページ  ../index.html#343

このブックを見る