鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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半期),マルコフ・マナステイル修道院聖堂(1366-72年)における「ニコラオス伝」セルピア地方に残る上記二聖堂以外の事例,すなわち,グラチャニツァ修道院聖堂(1321年以前),ドニア・カメニカの聖母聖堂(14世紀第2四半期),デチャニ修道院主聖堂(1343-50年頃),クルテア・デ・アルジェスの聖ニコラオス聖堂(14世紀第4四サイクルがある。また,ニコラオスの「聖人伝イコン」としては,前出のシナイ山聖エカテリナ修道院出のイコンと,スコピエの作例とがあげられる。紙幅の都合から,ここでは観察と分析の結論を述べるにとどめる。「ニコラオス伝」サイクルの図像に関しては,本聖堂の作例は,先行研究で頻繁にその類縁性がもちだされてきたスタロ・ナゴリチノ,或いは,スタロ・ナゴリチノと同系列の工房によるとされるプリズレンよりも,デチャニの方に近い様相を呈していると判断できる。例えば,オルファノスとデチャニの「ニコラオスの誕生」における母親のポーズはよく似ている。また,ニコラオスの誕生場面でよく登場する産湯シーンが,スタロ・ナゴリチノでは描かれ,オルファノスとデチャニでは描かれていない。「ニコラオスの教育Jについては,スタロ・ナゴリチノでは息子の手をヲlいて教師の許へと歩を進める母親が描かれているのに対して,オルファノスとデチャニでは,母親はニコラオスの後ろに立ち教師の方へと軽く押しゃるように息子の背に右手を置いている。教師,母親,ニコラオス三者の位置関係も両者は共通する。「コンスタンティヌス帝の夢枕にたつニコラオス」の場面では,オルファノスとデチャニでは皇帝は(向かつて)左が枕側であり,スタロ・ナゴリチノでは右に枕元がくる。またコンスタンテイヌス帝の被る王冠が,他の作例でみられるようなピザンティン及ぴセルピアの皇帝が実際に身につけていた王冠の表現をとっていないことも共通する。前二聖堂においては背後の天幕に似た建物にも類似点が多い。比較的直線が主体の幾何学的な処理を特色とする。さらにオルファノスとデチャニでの「三将軍の物語」からとられた三つの場面の配置,すなわち左上に「アブラピウスの夢枕に立つニコラオスJ,その下に「獄中の三将軍J,その右に「コンスタンテイヌス帝の夢枕に立つニコラオスjという組み合わせも同一で、ある。ニコラオスの説話サイクルに共通する特徴として,サイクル内の場面配置という観点からは,これまで言及が殆どなされてこなかった。しかしながら,すでに前節で指摘したように,聖人伝テクストの収録順序と呼応するようなナラテイヴ・シークエンスを前提としていないという重要な特徴を看過するわけにはいかない。その典型的事334

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