例として,例えば,1三将軍の物語jを挙げることができょう。この物語は最多6場面であらわされるが,その一連の出来事が,テクストに収録されたプロット・シークエンスに従って配置されることはまずないといってよい。しかも,複数からなる一連の出来事が一つのまとまりとして捉えられている事例も稀れである。さらに,この物語に属さない他の場面のなかに散在していたり,既に述べたように,処刑から救われた無実の三人の男と,三将軍とは,別人物群であるにもかかわらず,明確な描き分けがなされず,恰も同一人物群であるかのように捉えられている作例も非常に多く目にする。従って,サイクルごとに,各場面の主題の採択,配置,図像に関して,驚くほどのヴァラエテイの幅をみせることになる。本聖堂の「ニコラオス伝jサイクルとデチャニ修道院主聖堂のそれとに類縁性が見出せるのは,このような事実の下であることを強調しておきたい。聖堂内部装飾の制作年の問題これまでの考察を踏まえて,ここで,オルファノス聖堂の全壁面のフレスコが同時期制作であるとする先行の諸研究にみられる暗黙の前提から離れ,ナオスの内壁側の4壁面と,ナオスの外壁側(即ちアンピユラトリー側)の3壁面の制作時期の聞に隔たりがあるのではないかという議論をすすめる。そこで,この可能性について,建築に付随する問題を取り上げたい。まず,先行の研究でしばしばとりあげられてきたヴエリアの救世主復活聖堂(以下,ヴエリア)は,プラン上は,この周囲三辺がオルファノス聖堂のH字型アンピュラトリーとの並行現象であると捉えることができょう。ヴエリアでは外壁側にもフレスコ画が残っている。制作年が確定できる作例としては,外壁西壁の南端に残っている女性像である。添えられたインスクリプションから,この女性が1325/26年に死去したことがわかる。また,1354/55年の制作であることが確実なフレスコ画とそれに添えられた四点のインスクリプションも確認できる。つまり,ナオスのフレスコ画の1314/15年と外壁のこのフレスコ画とは10年~40年以上の制作の隔たりがあるのである。ヴエリアのこの事例を,その建築形態と併せて,オルファノス聖堂の並行事例であると考えたい(注6)。オルファノス聖堂では,さらにもう一つの興味ぶかい事実が観察できる。それはナ-335-
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