オスと南北のアンピ、ユラトリーとの聞にそれぞれ設けられた出入りスペース上部にあるアーチ状の部分の処理である。ナオス内壁側の南北の壁面においては,アーチの部分の図像が,フレスコ画制作ののちに切り取られたかのような不自然な様を呈している。例えば,同じアーチ付近の処理方法でも,ストゥデニツァ修道院・王の聖堂においてはあらかじめアーチがあることを計算にいれた構図が採られている〔図5J。これに較べると,オルファノス聖堂の内壁側の場合は工夫の跡を認め難い無造作な処理がなされており,主役たるべきキリストの姿も身体全体があらわされていない場面さえある〔図6J。これに対して外壁側は,例えば南アンピュラトリーの〈キリストとサマリヤの女〉の場面処理をみても,明らかにアーチ状の空間を前提とした構図がとられている〔図7]。また北アンピュラトリーの「アカテイストス聖母讃歌Jサイクルの下段部の配列をみると,第14連,15連,16連の順に順当に並んでおり,アーチ部による影響を被ってはいない。このような状況から,内壁側のフレスコ装飾が完成してから,なんらかの理由でアーチ部が設けられたか,あるいはその下の出入り口も含めてナオスとアンピュラトリーとを繋ぐ開口部が造られたとの判断を下すことができると思われる。そしてその後に外壁側の装飾が施されたと受け取ることができる。つまり,内外壁の制作時期に隔たりがあること,前者が後者に先行することを間接的に示しているのである。教会堂の壁体に改修の手を入れる際には,既にある窓や出入り口などの開口部を塞ぐことはそう珍しいことではない。しかし,その逆の事例は非常に珍しいというのが一般的である。とは言え,そのような逆の事例は同時代の非常に有名な教会堂においても確認できる。それが首都のコーラ修道院主聖堂である。聖堂のナオスとパレクレシオンを繋ぐために,増築時に新たに出入り口と採光のための窓が開けられたことが確認されている。一方オルファノス聖堂でも,典礼上の要請,あるいは石棺収納の場として(またはその両方の必要から),矩形のナオスの周囲三辺にアンピュラトリーを増設することが図られた可能性が指摘できる。従って,このコーラ修道院の事例も,オルファノス聖堂の建築経緯を傍証する並行例であると主張したい(注7)。ここで,オルファノス聖堂のプランの特色をもう一度確認しておこう。このH字型プランについては,さまざまな解釈がなされていた。多くの研究者は,それを,典礼上の要請,修道僧,すなわち典札参列者の増加,葬札機能という三つの点から説明づけをしてきた。それらの説明づけには,同じH字型プランをもっ同世紀のテサロニキ-336-
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