における諸聖堂の系列に属するものとして,本聖堂は捉えられている(注8)。しかしながら,本聖堂のH字型プランは,他の聖堂のそれに較べると,幾分特異で、ある。アンピュラトリ一部分の幅が広く,ナオスとのバランスが不自然である。このことからも,本聖堂のH字型プランが,はたして建造当初から意図されていたものなのか,という疑問が起こる。これまでに指摘したようなオルファノス聖堂の建築形態の特色は,先に「ニコラオス伝jサイクルを中心に考察した本聖堂のフレスコ制作について得られた見解を,別の側面から裏付けるものである。おわりに本稿の冒頭で挙げた三つの留意点に関して,簡単にまとめておきたい。まず,第一点に関しては,前節でみたように,聖人伝テクストの収録}II買序との呼応関係が見出せない点においても,また実際の配置状況においても,オルファノス聖堂の「ニコラオス伝」サイクルが,I聖人伝イコン」の枠絵とよく似た系譜に属するものであることが確認できた。また,装飾プログラムの点からみても,I聖人伝イコン」との共通性を示唆するような,Iニコラオス伝jサイクルのもつ特殊性が指摘できょう。第二点については,カリエルギスの手によるヴ、エリアの救世主復活聖堂は「ニコラオス伝」サイクルをもたないために,直接の比較検討はミハイルとエウテイヒオス工房による諸聖堂が対象となったが,従来言われてきたようなスタロ・ナゴリチノのスヴェテイ・ジョルジェ聖堂のフレスコとは,それほどの類縁性を見出し得なかった。それに較べて,Iアカテイストス聖母讃歌」サイクルでも類縁性が認められるデチャニ修道院主聖堂のプレスコとオルファノス聖堂とは,かなり近い様相を呈していることがわかる。「アカテイストス聖母讃歌JIニコラオス伝」両サイクルともに本聖堂のアンピュラトリー側,即ち,外壁側に属する。このことは,本聖堂の内部装飾がすべて同時期のものであるとする,従来の研究者たちが暗黙の前提としてきた態度に異を唱え,ナオス内壁側のフレスコと外壁側のフレスコを分けて考察するという視点から,本聖堂内部装飾の制作年の見直しを主張する論者にとっては,有益な事実となる。オルファノス聖堂のプレスコ画の制作年,すなわち第三点については,第三点の結果と併せて,内外壁それぞれの制作が別の時期に属すること,つまり,内壁側のフレスコについては,従来の見解に概ね同意するものの,Iニコラオス伝jサイクルを含む外壁側のフレスコについては,世紀中葉或いはそれ以降のものであるとする筆者の見337
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