鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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⑫ 中国南北朝時代の「郎県(富県)様式j仏教・道教造像に関する再検討一一平行多線文をあらわす造像について一一研究者:大阪市立美術館学芸員蔚藤龍一はじめに中国南北朝時代(4~ 6世紀)の仏教・道教造像については既に数多くの論考がみられるが,なかでも松原三郎氏による「北貌の道教像」および「北貌の郎県地方石彫に就てjは,陳西の造像を考察するうえで示唆に富むものであり,本研究も氏の論考に負うところが大きい(注1)。この二論考で松原氏は5~6世紀の陳西にみられる道仏混交像と道教像を長安造像とは異なるものとして,陳西省北部にある郎県(富県)の地名を冠した「郎県(富県)様式」とする説を示している(注2)。また氏は道仏混交像と道教像にみられる衣文の彫法が,Iいずれも原始的で,一見して郎県様式とわかる特徴の明瞭なものJであるとし「衣のひだが細いひも状の隆起線でつくられている点」が郎県様式の主要な要素のひとつであると述べている(注3)。たしかに氏が例に挙げた永平(508-11)銘道教三尊像(永青文庫所蔵)[図1)や永昌四年(515)銘道教三尊像(大阪市立美術館所蔵)[図2)などの造像は,たんなる稚拙な衣文表現とはしがたい多数の細やかな平行線文が刻まれている。ところが近年,新たな造像の発見や調査報告が相次いでおり,なかでも平行線文が刻まれた北貌時代の作例が西安市西部の札泉寺社から出土したことは注目される(注4)。さらに交通手段の発達により広範囲での実地調査が可能となり,同様の平行線文が刻まれた造像が険西省だけでなく甘粛省や山西省においても確認されたため,今まで郎県様式として一括りにされてきた造像について再検討する必要が生じた。そこで本研究では,着衣などに数多くの平行する線(以下,I平行多線文」と称す)が刻まれた造像について,分布と地域ごとの特徴を示し,その展開と出現理由について考察する(注5)。l 平行多線文造像とは平行多線文をあらわした造像とは,具体的にどのようなすがただろうか。その代表的な作例のーっと考えられるのが,明治時代に早崎梗吉氏によって富県の石i弘寺石窟から将来されたと伝えられる永平銘道教三尊像(永青文庫所蔵)である(注6)・〔図-344-

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