(a) 500年代初頭あるものの具体的には不詳であった。札泉寺社出土の如来像(上半身のみ現存)C図5Jは先に挙げた如来三尊像〔図4Jと同様に,衿に連珠文が施された大衣を着け,そこには細かな平行多線文が刻まれている。また,光背にある体を反らせる飛天は,先の永平銘道教三尊像〔図1]にみられる飛天のすがたと近似している。一方,三尊像(上半部のみ現存)C図6Jの主尊は両手を胸前で重ね合わせ天衣をX字状に交差させるが,平行多線丈はみられない。しかしながら注目されるのは光背に刻まれた図像である。本像の頭光形式は永平銘道教三尊像〔図1]と共通するものであり,さらには永昌四年銘道教三尊像〔図2Jの光背と同じく,龍らしき怪獣と円形文様が左右対称にあらわされている。以上のような西安礼泉寺社出土の造像との共通点からいままで出土地不詳とされてきた日本に収蔵される一群の平行多線文造像については,西安付近で造立された可能性を考慮すべきといえるだろう(注8)。西安とその近郊を中心に出土した四面像には平行多線文をあらわした作例が数多くみられ,これらの大部分は西安碑林博物館や臨撞区博物館,耀県薬王山博物館に収蔵されている(注9)。そこで平行多線文の表現の違いに着目しながら,紀年銘を有する作品を中心に四面像を整理していきたい。銘挑伯多像と太和二十年(499)銘劉文朗像を収蔵するがどちらにも平行多線文は刻まれていない。しかし北地郡富平の楊氏によって造立された景明元年(500)銘楊阿紹像,楊纏黒像の両四面像(薬王山博物館所蔵)では衣文に平行多線文が採用されている〔図7J。楊阿紹像は正面にのみ造像と銘文が刻まれており,上半部の大寵内に道教三尊像が配されている。主尊の坐像は袖のある大衣を纏い腹部で帯を締め,右手を胸前で広げ左手は膝に置いている。大衣の衣文は,それぞれ胸前,肩,腕,袖などの部位ごとをひとまとまりとする平行多線文によって構成されている。この平行多線文は間隔が不均一な部分もあるなど素朴なものといえる。左右脇侍立像は両手を胸前で合わせ,主尊と同様に平行多線文がほどこされている。また臨撞区北部の棟陽鎮から出土した正始二年(505)銘鳴神育像(臨j童区博物館所A -2 平行多線文をあらわす四面像薬王山博物館では太和年間(477~99)の銘を有する造像として太和二十年(496)346
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