鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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(b) 51O~520年代続く510~520年代の造像は,先の500年代初頭の作例とは平行多線文の表現をはじめ蔵)は四面に各一禽聞き,その下には供養人及び銘文が刻まれている。このうち正面にある禽内の坐像は袖のある大衣を纏い,その衣文は肩や袖などの部分ごとにまとまった平行多線文の組み合わせで表現されている〔図8J。このほか左右の脇侍立像,寵下中央の供養人の着衣にも部位ごとに平行多線文がほどこされている。以上,500年代初頭の平行多線文造像に共通することは,主尊の着衣において,本来生じるはずのしわとは無関係に,肩や腕,袖などの部位をひとまとまりとする平行多線文の組み合わせで衣文を表現している点といえる。として大きな変化がみられる。延昌三年(514)銘張乱国像(薬王山博物館所蔵)は漆水から出土したもので,前後三面のみに彫刻され両面に各一寵を聞き,それぞれ道教三尊像が配されている。正面の主尊は大衣を着け腹部で帯を締め,着衣全体には流れるように細かな平行多線文がほどこされている〔図9J。寵上には向かい合う二匹の龍と飛天が線刻される。興味深いことに,寵下の獅子の左右に発願者とおもわれる騎乗の人物,さらには供養人の下に出行図が線刻されている。また神亀三年(520)銘錆隻胡像(薬王山博物館所蔵)は,出土地が不詳だが銘文に「富平令王承祖巴師錆隻胡」とあることから富平付近で造立されたものと推測される。四面に各一寵聞き,それぞれ道教三尊像が配されている。寵内の主尊坐像は通肩だが腹部で帯を締めた大衣を纏い裳懸をあらわし,衣文としてやや間隔のあいた平行多線が刻まれている〔図lOJ。また痩身の脇侍立像のほか寵外の供養人像にも同様に平行多状線文がほどこされている。禽上には交龍,左右にはそれぞれ内部に烏,蛙をあらわした日月,さらには背面下方に雑技図が線刻されている点が注目される。なお同様に「富平令王承祖」の銘文がみられる正光二年(521)銘錆麻仁像(薬王山博物館所蔵)も,主尊ほか脇侍や供養人の着衣に平行多線文が刻まれると共に,像側面には相撲をとるような二人物をあらわした雑技図が線刻されている。この時期の造像にみられる平行多線文の多くは,部位ごとの断片的なものではなく,着衣全体により自然に刻まれるのを特徴としている。また平行多線文の変化だけでなく,同時に交龍・日月・雑技・出行図といった,いわゆる漢民族的な図像が数多くみられるようになった点も注目される(注10)。-347-

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