さらに年代が下り西説大統元年(535)銘毛還像(薬王山博物館所蔵)の裳懸には,直線と直線の聞に波線を施した装飾性の高い衣文が刻まれている。以上,西安とその近郊から出土した四面像のうち,平行多線文が刻まれる造像について整理を試みた。これらの四面像は5世紀末の作例には平行多線文がみられず,6 世紀初頭に始めて造られたが,その平行多線丈は肩,腕,袖など部位ごとをひとまとまりとして刻まれるものであった。その後51O~520年代の作例では,着衣全体を流れるように細かく刻まれる表現が主流となった。西安とその近郊の作例にみられる平行多線文造像のうち四面像についてみれば,5 世紀初頭にその初期の作例が確認できる。また平行多線文の表現には大きく分けて2種類あり,先ず部位ごとの表現が出現し,それに続けて着衣全体を等しく覆う表現が出現している。このように,紀年銘を有する数多くの平行多線文造像が出土していることから,平行多線文造像の出現と展開の年代的な流れをおおよそ把握することが可能といえる。また,出土地不詳とされてきた日本の収蔵される一群の平行多線文造像については,西安礼泉寺社出土の造像との共通点から,これらも西安あるいはその付近で造立された可能性が考えられる。なお平行多線文造像の出現については後述するが,この地域の造像がその重要な鍵を握っていたことは確かだといえる(注11)。B それ以外の地域出土作例は西安とその近郊に比べ数は少ないものの,陳北(険西省北部)・険西省西北部■甘粛省東端・山西省南東部といった東西に広い範囲で平行多線丈造像を確認することカfできる。B -1 陳北(陳西省北部)西安から北へ200km以上離れた険北の南部にも平行多線文造像がみられ,そのいずれも石窟の造像である。主な作例として,黄陵県香房石窟と宜君県福地石窟があげられる。① 香房石窟黄陵県双龍郷香房村に位置し,北貌時代後期に造営されたと推測される石窟である。側壁にある独特な面相の菩薩立像は腹前でU字形に垂れる天衣や裳などにやや素朴な平行多線丈が刻まれている〔図11)。なお石窟外には騎馬供養人の浮彫があるという(注12)。②福地石窟348
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