鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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宜君県福地村にあった石窟で,仏教造像と共に道教造像も造られた,仏道混交石窟として重要である(注13)。正壁大寵外側に「大代大統元年歳次乙卯七月九日」の紀年銘があり,西貌最初の年である大統元年に造営されたことがわかる。正・左・右の三壁にはそれぞれ大寵が開かれ,正壁寵に知来三尊,左壁寵に道教三尊が配されている(右壁寵内の造像は失われる)。この三大寵の脇や上部には題記,小禽のほか交龍と円形文様,騎馬供養人,屋内に坐す二人の人物,相撲のょっな雑技をする人物,さらには山岳と動物,鶴などの鳥類などさまざまな図像が刻まれており,小禽の坐像,供養人などの衣文のみならず鳥類なども細かな平行多線文で埋め尽くされている〔図12J。険北には南北朝時代に属する石窟が少なくないがこのうち平行多線文のみられる石窟は,宜君県や黄陵県といった南部に集中している(注14)。両石窟にみられる平行多線文の表現と,合わせて刻まれる漢民族的な図像から考えると,いずれも西安とその近郊から大きな影響を受けたものであることがわかる。以上のように,陳北は郎県(富県)様式の名称、の由来となった地域ではあるが,西安とその近郊とは異なり,平行多線文造像が必ずしも数多く現存していないことから,この地域では平行多線文造像がそれほど流行していなかった可能性も否定できない(注15)。B -2 陳西省西北部・甘粛省東端この地域の出土造像と石窟のなかにはわずかではあるが平行多線文造像が確認される。いずれも紀年銘がないが北貌時代後期に属すると推測される。① 挟西省長武県と甘粛省淫川県の造像隣接する険西省長武県と甘粛省淫川県は,西安から六盤山の南を経由し甘粛省の省都,蘭州へと至る交通路上に位置している。このうち長武県から出土した造像に,着衣に平行多線丈が刻まれた作例が数点含まれている(注16)。このうち三面像〔図13Jは長武県城内の昭仁寺から出土したもので,三面に大寵を聞き,寵内には獅子を伴う知来三尊像が配されている。主尊の着衣などに平行多線文,禽下には供養人や雑技の様子が刻まれ,さらに大禽上部に小禽が聞かれ如来坐像または二仏並坐像が配されている点が大きな特徴といえる。このほか隣接する甘粛省東端にも興味深い平行多線文造像がみられる。この如来三尊像(甘粛省博物館所蔵)は甘粛省淫川県から出土したもので〔図14J,大寵と小禽を聞き交脚像と半蜘像を配するなど長武県出土の三面像〔図13Jと近似した特徴を示349

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