C まとめ以上,険西省をはじめ甘粛・山西省にみられる平行多線文が刻まれた造像について,その分布と各地における特徴をまとめたが,その結果,中心と考えるべきは西安とその近郊の作例であり,平行多線文造像が5世紀末には西安あるいはその近郊で造像が開始されたことが明らかとなった。平行多線丈は衣文にのみあらわされるのではなく,獅子や交龍などの動物にも同様に刻まれており,平行多線文が着衣に生じるしわの表現としてではなく,ひとつの文様として理解されるにいたったのではないかと推測される。そして,これらの造像は東西に広い範囲で分布するもので,従来の郎県様式という名称では捉えられないといえるだろう。なお道教像のなかにも平行多線文を用いない作例がみられ,仏教像と道教像に刻まれる平行多線文に相違がないことから,平行多線文と道教像の出現とが必ずしも直接関連するものとはいえないと思われる。それでは,このような東西の広範囲に分布する平行多線文が刻まれた造像は,どのように出現したのだろうか。平行多線文が刻まれた造像は北貌後期■西貌時代に集中しているが,その一方で太家溝門石窟ではいずれも平行多線文はみられない。そこで注目されるのが,西安とその近郊から出土した5世紀後半から6世紀初頭にかけての造像である。この時期を代表する作例に以下の造像が挙げられる。① 興平県出土,皇興五年(471)銘知来交脚像(西安碑林博物館所蔵)(図17J本像は獅子座に坐し,両手を胸前で重ねており,両足は地天によって支えられている。衣文の彫りは深く立体的で,その断面を見ると大きな波状の凹凸と細い刻線が組み合わせていることがわかる。このような衣文表現は,天水麦積山石窟や敦埠莫高窟をはじめとする北貌5世紀後半の西北地方における造像に近いものである。② 長安県査家案出土,景明二年(501)銘四面像(西安碑林博物館所蔵)(図18J四面に寵を設け,いずれにも結蜘扶坐する如来像が配されている。この四面像には,知来像の着衣に裳懸がもうけられ裸形の飛天像が配されるなど新しい要素がみられる。興味深いことに,このうち紀年銘を有する面では〔図19Jに示すような二種類の3 平行多線文造像の出現和年間(477~499)の紀年銘を有する薬王山博物館所蔵の四面像や,甘粛省東端の張-351-
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