彫法が確認できる。一つは知来坐像の着衣にみられるもので,先の皇興五年銘如来交脚像に比べかなり平坦で、はあるが,緩やかな波状の凹凸と細い刻線が組み合わせて刻まれている。もう一つの彫法は,細く長身の脇侍菩薩立像の着衣,さらに台座下部の地天や獅子にいたるまで均一な平行文が細かく刻まれたものである。③ 西安で収集された,北貌時代(6世紀初頭)知来三尊像(西安碑林博物館蔵)〔図20J主尊は両足を交差させて獅子座に坐し両手を胸前で重ねる。この三尊像の彫法をみると景明二年銘四面像と同様に,主尊の胸部や両腕では緩やかな波状の凹凸と細い刻線の組み合わせ,主尊の脚部や脇侍立像の着衣では均一で細かな平行文という二種類が確認できる。以上の作例をはじめとする西安とその近郊から出土した造像について特にその彫法に注目すると,年代が下るにつれ衣文表現の簡略化が進み,景明二年銘四面像〔図18Jや知来三尊像〔図20Jでは,(図19Jに示したような二つの彫法が並存していたことが明らかとなった。つまりこのことから平行多線文造像は,西安とその近郊の5世紀後半~6世紀初頭の造像から大きな影響を受けて出現するにいたったと推測される。4 平行多線文造像の出現理由これまで述べたように,平行多線文造像は西安とその近郊で出現したと考えられるわけだが,その表現は,立体的な衣文表現の造像をたんに模倣するものとして広がったのだろうか。また,それはどのように理解されて造られたのだろうか。各地に分布する平行多線文造像には,共通するいくつかの特徴がみられる。その最も大きな点が,刻まれた図様の多様性といえるだろう。まず交龍・日月・雑技・出行図といった,いわゆる漢民族的な図像の多さがあげられる。他地域の造像にも漢民族図像がみられるものの平行多線文造像のように,ひとつの像に同時にこれほどまで数多くの漢民族図像が刻まれた作例はまれである。またこのほか山岳と共に動物や鳥類などが刻まれているが,そのおおらかな表現は遊牧民族の生活を描いた北貌時代の鮮卑墓の墓室壁画に通じるものといえる(注20)。さらに仏教像と道教像を併存させる造像も多くみられるが,人々は仏教と道教の相違をあまり問題にしていなかったと考えられている(注21)。ではこのように様々な図様を自由に取り込んだ人々にとって,平行多線文はどのよ352
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