注(1)松原三郎「北魂の道教像Jr仏教芸術.122号1954 (2) 侠西省富県は西安の北約250kmに位置する。唐時代以降この地には鹿問、|が置かれ(3)松原三郎「第五章北貌険西派石彫の一系譜Jr中国仏教彫刻史論J吉川弘文館(4) 王長啓「札泉寺遺祉出土仏教造像Jr考古与文物.12000-2 (5) 平行多線文造像と同時期の金銅仏の関連については,今後の課題としたい。(6) 大村西崖『支那美術史彫塑篇』仏書刊行会図像部1915 300頁(7) 前掲「札泉寺遣社出土仏教造像」(8) このことから,富県石拡寺石窟より将来とされる永平銘道教三尊像の制作地につ(9) これらの造像に関する論考は数多く,本論では前掲松原氏論文のほか主に次の著ることが可能だろう。また平行多線文が技術的に容易な彫法であることも,I平行多線文を刻む」ことに固執する独自の造像が流行した要因のひとつと考えられるのである。本研究では平行多線文の表現を通じて甘粛・険西・山西各省の造像について考察を試みたが,今後はさらなる現地調査を踏まえ,同地域の造像を包括的に把握すべく研究を深めていきたい。松原三郎「北貌の郎県地方石彫に就てJr国華.1753号1954 1913年に郎県となり,1964年に現在の県名へ改められた。『中国歴史大辞典・歴史地理巻』上海辞書出版社1996 1995 36・38頁いても,再検討する必要があるだろう。作,論文を参考とした。超康民「険西臨撞的北朝造像碑Jr文物.11985-4 張硯・王建新訳「中国陳西省耀県の碑林(一)Jr仏教芸術.1205号1992 張硯・王建新訳「中国険西省耀県の碑林(二)Jr仏教芸術.1211号1993 陳西省耀県薬王山博物館・険西省臨撞市博物館・北京遼金城垣博物館編『北朝仏道造像碑精選』天津古籍出版社1996 石松日奈子「快西耀県薬王山博物館所蔵「貌文朗造像碑」の年代についてJr仏教芸術.1240号1998 (石松氏は貌文朗像の年代を500~514年とする新たな見解を354
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