4 反博期1969年1969年になると,だいたい同じ顔ぶれの「儀式屋」のイベントは,I反万博jを旗印に掲げるようになり,場所も東京だけではなく,名古屋,京都,大阪,福岡(戸畑と博多)で行うようになり,I美術系」作家だけではなく各地での演劇や学生運動グループとの共演を行う。そしてこのような動きのひとつの決算が,I告陰jらとの「万博破壊共闘派」名での池袋アートシアターでの「万博破壊ブラックフェステイパルJ(1969 年6月)C図15Jとそれに続く京都大学教養部屋上や大阪万博会場予定地での発表であろう。写真で見る限りでは,片手上げの「決めjのポーズに加えて,ヘルメットやマスクなどの小道具が学生運動家との同一化の意志を感じさせ,性器を正面から露出する挑戦的なポーズもこれまでの「ゼロ次元Jとは性格を異にする。しかしこの過程で,1ゼロ次元」は,もはや無難な「アングラ」文化の範曙を逸脱し,学生運動家とのつながりや国家的イベントに反対する示威行為により公安にねらわれることになる。そしてついに性器を観衆に露出した儀式の写真を掲載した雑誌記事を口実に,加藤,秋山,末水蒼生とそのグループ,小山哲男らが逮捕されることになる。この事件をめぐって,加藤,かわなかなどの間に意見対立が起こり(注13),間もなく共闘は解体してしまう。加藤自筆の年譜に従って,この「万博破壊共闘派」の活動の中に「ゼロ次元Jは融合・吸収されていくことでその最盛期が終わったとすれば,この時点が「ゼロ次元」の終鷲になる。なおこの時期の共闘との同時進行で,単独の儀式も行われていたが,それはライブで観衆に見せるよりも映像や写真記録に残すことをねらったものだった。そのひとつが,1968年9月に始まる名古屋の「五色園jでの儀式であり,第二に,後述の映画『いなばの白うさぎJにつながる,全裸の男たちが一人の女神に翻弄されるという,一種文学的なテーマのある映画『シベールjC図16Jの儀式である。1968年8月,アメリカ人映画作家・評論家であるドナルド・リチーの監督によるこの16mm映画用儀式にも加藤自筆の図解入りプランが残されており,プランでは男の性器が引きちぎられて殺されるなど実演不可能な加藤の夢想が描かれていること,ラモーのバロック音楽を使ったリチーの映画作家としてのねらいとのズレなどは,今後の研究の価値があろう。5 末期1970-72年もし「反博」への参加が「ゼロ次元jの終わりではないとすれば,その活動はいったいいつ終駕したのか?手がかりのひとつは当然ながら「儀式」の実演である368-
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